筏師哀歌
「仕事歌」というジャンルが確かにあった。それが人々を繋ぐ絆でもあった。主として第一次産業、第二次産業地帯。「都市化」「近代化」が失っていったものは「仕事歌」。具体によって人々が繋がるこの紐帯は強い。拘束性すら持つ。だから、「近代化この良きもの」の洗礼を受けたぼくなどは、「仕事歌」からできるだけ遠のき、紐帯を強引にほどき、抽象性で「連帯」などという言葉で吠えて青年期を送ってきた。むなしい。だって、形は何も残らないもの。
考えてみれば、ぼくが修士論文で扱った大正自由教育の実践家上田庄三郎が「前近代」と「近代」との狭間期で「自我」形成に苦しんでいたのだった。それを真正面から取り扱わず、彼の中の「近代化」志向こそが民主主義だと断じ、その立場から歴史の進歩を語った。だから、彼が教育実践の中で「ガタガタ荷車どこへ行く〜♪」という「仕事歌」を作詞作曲し子どもたちに歌わせたことを、「仕事歌」として理解せず、「近代学校における地理教育と近代音楽(近代童謡)との結合の産物」と理解した。だから、「荷車」を引く人や押す人、という「人」の立場に理解を及ぼそうともしていなかった。今想うと、じつに悲しい「結語」である。
クラムシーの「筏師」をめぐる「仕事歌」を、昨年10月、偶然入手した。お菓子屋さんで売っているチョコレート菓子の商標である。なかなかきちんとした訳出ができないまま放置している。おおよそ次のような歌詞なのだが・・・。18世紀後半の作品だとか。フランス革命との関わりも考えなければならないのだろう。まさに、「前近代」と「近代」との狭間期の問題だ。
筏師哀歌
クラムシー−パリを行ったり来たり/大きな筏の男どもが/貨列に薪を積み運ぶのは/ブルジョアたちを暖めるため/川に糞
ペルティに筏が着いた/小さいのや大きいのを/ピコで引っかけ/取り除く/川に尻
小塔の縁を通り過ぎる/ラローのお殿様/さあ、チビ、弁当箱を広げよう/進路変更恐れ無し/川に糞を
筏は川の流れに乗っていく/メルロの歌/「私たちのいとこが帰るところから/薪材は出発する」/川に糸を
ヨンヌ川がセーヌ川に合流して/モンテロウの手前まで/心はすでにバスティーユ見学を想う/それでうきうき/川に糞
守護霊の息づかいが筏師を駆り立てる/マルゴー島の男たち/彼らはクラムシーの男たちと同じく/ベルシー岸辺で/川に糞
頭が考えと言葉で/満杯になったら/彼らは見たこと/聞いたことを話すだろう/川に糞を
頭が正確に/素敵なマオに/止まるために/男たちはする・・・/川に糸
ベトレームの司教が/少年に洗礼名を付ける時/洗礼の日、少年を素っ裸にし/水に浸ける/川に糸
もし私の歌が韻をちゃんと踏んでいないなら/そんなのを捨て/取っておきたい/記憶を 本当の歴史を/川にChis…
もしお前がシッシュ橋から投げるなら/それ、筏流しは進む/大きな筏の我が友が/ピコを投げるだろう/川に糸