2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『五十鈴川の鴨』(竹西寛子、幻戯書房刊)寸感

彼岸ではなく彼岸らしく、此岸ではなく此岸らしい。この両者を紡いだ世界を寂漠と呼ぼうか。彼岸を彼岸として描くことも、此岸を此岸として描くことも、さほどの力業は必要はない。しかし、彼岸らしい世界と此岸らしい世界とを混沌させることなく描ききるこ…

言葉を選ぶ、文を作る

長期にわたるパリ生活の慰みにと本屋で手に取った、一冊のミニ絵本。タイトルに"Bonheur de chats"とある。 とりあえず『ネコの幸せ』と邦題をつけよう。裏表紙には L'homme est la plus belle conquête du chat と三行分かち書きで綴られている。とりあえず …

ツルと姫が「ふじっこ」を求めて吉池に行く

昨日、姫様におつきあいいただき、パリへの土産を吉池地下スーパーに買い出しに行った。パリのお方からご要望の出されていた品一覧表を手に商品棚通路を探し歩く。といっても、ご希望の品は乾物類なのであっちこっちをさまよい歩くことなく、ほぼ一定。「こ…

エドゥアール・セガン作「筏師たち」(全訳)

あなた方、この世の幸せ者、すてきなパリっ子たちで、誰か、快適な暖炉を進んで悪く言うような者がいるだろうか?渦巻く炎を見つめて過ごす時、パチパチ爆ぜる陽気な火花を見入り、やがて勢いが弱った炎をかき集め、とうとう最後の火が尽きようとしてしまう…

「筏師」ということ

この「筏師」というのは、「セガン」研究の場合、「筏を操縦する人」という語義でのみ理解してはならない。フランスの近世から近代初期にかけて独自に存在する歴史概念である。 パリの冬は長く凍てつくような寒さである。そのパリの人々の暖に供されるのが薪…

喜ばしい知らせあり

大学院生のS君と卒業生のIさんから、「教採一次合格」の知らせがあった。S君は、過日、胃痛に追い込まれるほど苦しみの姿を見せ、Iさんは我が教職課程では欠格の烙印を押されていた人物であり、社会人となってから懸命にがんばって、教職への夢を実現しようと…

「凡ミス」あっちこっち

日本モンテッソーリ協会第44回大会参加申し込みは某旅行会社が扱っている。大会事務局からすればたいそうありがたい助っ人である。ただし、お金はかかりますがね。その旅行会社から請求書が届いたのはいいが、請求書宛先が「学習院大学教務課程部」を肩書き…

「華がないですから」

研究室の書棚に折り鶴が何羽か飾られた。古色騒然という言葉がぴったりの戦前の雑誌コーナー。専門分野の人間に言わせれば稀覯書がずらりと4段ほど並んでいる。無関係の人間からすれば、まあ汚らしい。昨今のカラー表紙で製本された、並べればカラフルな模様…

天然ウナギを食す

池袋の三木から「天然ウナギが入りました。」と連絡があった。今年は丑の日にウナギを食していないこともあり、職場同僚を誘って、いそいそと出かけた。 肉厚!日頃いただいているウナギとはまるで食感が違う。「おいしい」を連発しながら蒲焼きをいただき、…

「狂人と白痴」(伝承話)

サン=シモン主義者のエドゥアール・シャルトンが創刊・編集した"Le magasin pittoresque"(ル・マガザン・ピトレスク)という百科全書の第10年(1842年)の巻に、「狂人と白痴」という話が登場する。人間性の根源を綴っており、大層心惹かれる話である。以…

「手は人間の外に突き出た第二の脳」第2弾

またぞろセガン熱に冒され始めた。熱はあるが頭は痛くないので薬は飲まない。 『1866年著書』の前に「1846年論文」『1846年著書』を押さえきれないとセガンの「半生」を理解したことにはならないと思いつつ、彼の「教育論」を正しく理解したいという強い思い…

オープンキャンパス

今年度のオープンキャンパスの第1日。我が教職課程もブースを出す。親子連れがほとんどで、親が聞くのが半分というところか。 教職を取るとどれほど大変か。→うんと大変です。 教職を取った人でどれほどの人が教師になっているか。→単年度で言えば少ないです…

「ティータイム」

英語やフランス語で、我が国で言う「ティータイム」はどのように表記するのか、分かりませんけれど、このブログ主幹?のぼくからすれば「ティータイム」のような問題を以下。 ある「若手研究者」の研究助言をしていて、否も応もなく、つまり自然体で、エドワ…

我が国の名前文化は仮名表記と漢字表記とを一致させない現象が続いている

ここ5年ほどの間に―あくまでもぼくの実感レベルの話だが―、漢字は音でも訓でも読むことができるが、さてそれが人の名となると、まったく「読み」がはずれてしまう、という現象が強まってきている。 我々教育関係者は、自分が教える対象者の「名前」をいち早…

「題が無い」―随意選題運動の一翼を担う我

昨夜来、台風の影響だろう、涼しい気候。こういう時こそ仕事が捗るはずだが、それは「教科書」的発想。 クラムシーへの手紙の原稿、再点検。当時の新聞記事の文章ではハテナマークが付くのだが、それはぼくの学力の無さを示しているだけなのだろうと思う。 …

クラムシーに拙著献本の手紙ー翻訳の依頼原稿作成

M. le directeur de la Société scientifique et artistique de Clamecy Onezime-Edouard SÉGUIN(1812-1880)の生育史と業績との研究・調査のために、2003年、2005年、2009年の3回、貴クラムシー市を訪問しました。とりわけ2005年と2009年の訪問に際しては、貴…

狂うがごとし―元祖出来損ないの妄言

柏に出てmicro FDを購入。テキスト入力機pomeraのデータ保存用。 行き帰りの電車及びホームに出来損ないとしか思えない高校生のグータラチンタラダラダラの群れが溢れ、強い苛立ちを覚えた。「我以外世界に存在せず」の年齢だとは思うものの、これから続く夏…

旅で出会った花

恐らく亡き母のマイナス影響なのだろう。一年中、庭に草花を咲かせ、あるいは世界の野山に花を求め歩き、カメラに残していた母とは正反対で、花の名も美も疎い。それでも時折、ふと、足下の花に気が引かれる時がある。 今回の「洛陽の旅」で出会った花のうち…

生物百面相

梢のアオサギ 電柱のトンビ 探餌中のトンビ 眼光鋭いエミュー とぼけた表情のマーラー 照れ屋さんのフンボルトペンギン 毛繕い中のビーバー 「寄らば噛みつくぞ」ポニー 警戒ミーヤキャット

都市の真ん中の故事風景

先年、火災にあった法善寺横丁。逞しく蘇っています。 命の願いを一心に受ける水掛地蔵。 一瞬を惚けて生を逞しくする夏の習俗。阿波踊り練習風景より。

小さな漁村にて

「落陽」という韻律から受ける感情とは違い、生命の百相ほとばしる逞しさと出会うことができた。 荒海に光を投げる燈台を守るが如きカンナ。 荒海や静まれかしと首垂れ。 食の源の顔、海人集落。 遠い昔日のこと、この道の奥の岬の海中に大きな岩場があり、…

落陽

16日から今日18日まで、「落陽」との出会いを求めてささやかな旅をした。 幽玄の世界から落陽の世界へ。時は移る。 以下、写真旅記録「小さな漁村にて」、「都市の真ん中の故事風景」、「生物百面相」を続けてごらん下さい。

旅第一陣の準備完了

明日から放浪の旅に出かける。美しい夕陽を見たいという衝動。チケットが手に入らないかと心配だったが大丈夫。 旅の間、ノートPCさえ重く感じられる昨今、思案の末、テキスト入力装置を購入。フランス語入力ができないのは残念だが、後で修正すればよい。…

フランスの旅のチケットが届いた

パリの宿はセーヌ川左岸、モンパルナス通り。地下鉄エドガー・ギネ駅の近く。つまり、モンパルナス墓地近在。イタールの墓探しに3年越しで通った墓地だ。市が立つ通りと交差している。花売り娘のベキちゃんは今もいるだろうか。モンパルナスタワーのある繁華…

床屋談義

「おはようございます。」 「よー、いらっしゃい。教授先生。」 我、前なる鏡、じっと見る・・・・。グォホィ・・・ 「ずいぶん髪伸びたね。教授先生。」 「帽子代わりにしてたけど、天辺無いし、襟のところが返って暑いですねぇ。」 「冬になるとてめえの髪、…

ムフフフ♪+ガルルル

☆頭出し部分だけ、黒山羊さんと白山羊さん、の歌 お羊さんからお便りついた♪ 禿鶴さんたら読まずにムフフ♪ 読ーまなければ 分ーかりませーん♪ さっきのお便りご用事なあに。 お羊さんから「パーリで♪ 逢いましょー」♪ 禿鶴さんたらお返事書いた、「孤独を愛…

ガルルル+α

ほとんど野獣化したうめき声が出た。今日のレートは何と111円台。3円も円高だ。今日は夕刻まで時間が空いているけれど、持ち合わせの「札束」はない。ガルルルル。 昨今の研究会や講演会での「発表」「報告」は「視覚」が勝負となっている。ぼくは「お遊び」…

ウェーン、エーン

今日になっても「レポート」提出にやってくる。全員「体調が悪かった。」が今日になった理由。一人ひとりの言い分に聞き耳を立て、「我が大学の教職課程のルール」について説明する。 学生によっては、授業中の立ち居振る舞いについても、いくつかの様子を上…

あれこれあれこれ

1.「評価レポート」の提出遅れ(締め切りは先週金曜日)が幾人か。呆れ果てるしかない。「置いていく」ことは許可。当人の前で斜め読み。あるレポートには、「グループの討議を指揮る」とある。愕然とするしかない。 2.札幌で開催される日本モンテッソー…

ぼくの旅、こんな旅

あと1ヶ月後に迫った2年ぶりのフランスへの旅。体の衰えをしっかりと自覚しないと、姫様に警告を発せられるごとく、「道で倒れないで下さいね。」ということになりかねない。 「ルーブル、行きましたか?」 さまざまな人がぼくに是非とも行きなさい、と語る…