2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

おいしいフランス料理

昨夜は、日頃何かとお世話になっている、二人の素敵な、つまり素敵な、素敵な副手さんと、浅草橋のフランス料理店で会食をした。 昨日の会食の段階では、あれもこれも、ブログに書こうと思ったのに、いまは言葉になって出てこない。とにかく、ご満足いただけ…

セガンさん、大都会に出て、爆発したのか

イディオの教育についての学習はいっかな進まないが、セガンという人の歩いた道と立ち寄った館については、だんだんはっきりとしてくる。 東フランスの地方都市で幼少年期を送ったセガンがパリに上ったのは何歳の頃なのだろう。とにかく、パリのセーヌ川左岸…

我らがセガンさんはどのセガンさんでしょう

フランスのセガン研究者が「セガンは『ラ・プレス』という新聞に芸術論を寄稿している。それだけでなく、『ラ・プレス』紙の発刊に関わっていたようだ。」と書いている。それを手がかりとして『ラ・プレス』紙の寄稿評論を探し当てたのは数年前。今日は、それ…

浅草花やしきへ

昨日の午後、貴婦人と浅草花やしきで遊ぶ。 上田庄三郎が高知・土佐清水から一家で上京した折、最初に訪れたところだ。そのこともあり、また、浅草界隈を散策する折り目にするので、一度来てみたいと思っていた。いつものもんじゃやさんで、ぼそっとそのこと…

これからの道

「イディオを共同体との関係性で「孤立」だと捉えていた18世紀までとは異なり、19世紀のイディオの「孤立」は、自然、社会等、あらゆるものとの「孤立」―そう、彼自身の諸器官間でさえ―が原因であると、突き止められた。そして、その「孤立」はまったく固定されてい…

いろいろと連絡あり

日曜日に予定していた「言葉と教育の会」中止の連絡。T先生が脳梗塞のため入院治療。S先生が喉より出血、精密検査の必要がある、とのこと。大御所の急変に小心者のぼくはあたふた。あたふたしてもしようがないが、やっぱりあたふたあたふた。 来月から日本社会…

いろいろと見つかる

見つかったその1 ETHNOEDUCというブログでEdouard Séguin, l'instituteur des "idiots"と題された論文がアップされているのを見つけた。この表題自体は陳腐ではあるが、セガン以前、セガン、セガン以降という時の流れでセガンの業績を追っている点、ぼくには…

健康の家

修道士などが精神病者と同居生活をしていた、労働も一緒。このことは中世に源を見ることができるらしい。では、精神科医が「健康の家」を創設し、精神病者をそこに住まわせていた、というのはいつごろからなのだろうか。ピネル、その弟子のエスキロル、ベロ…

おつむ、なーいない。

ひねもす、ねたり、ねたりかな。 しゅうじつ、ひたすら、ねむりけるらむ。 なーんも、まえにすすまない、いちにちであったことよなぁ。

ジイチャンとネエチャンの初秋デート

敬老の日?ホンマ?全然うやまわれないけれど、うらやましがられたかも知れんな。 媛さまにお尋ねしたら、ジイ、わらわは、浅草なるところにて。もんじゃなるもの、食すること苦しからざる、と申されるので、ひとひとひとひとひとひとひとひと無礼な人目が付…

再三題噺

その1.媛様との「デート」は明日午前11時待ち合わせに決定。どんなお話を聞くことができるやら。 その2 貴婦人よりお土産をちょうだい。もちろんお話のお土産もたくさん。かなりお疲れのご様子でした。でも、お話は楽しいことばかり。 その3 久しぶりに清…

帰国

貴婦人親子が無事帰国されたとのこと。楽しかった日々のことなど、お話を伺いたいものです。それにしても、今日から大型連休で、出かける人が多いというのに、入れ違いのおもしろさ。 ご無事で何よりでした。

気になる人・ウージェーヌ・シューの再学習のために

大衆小説作家ウージェーヌ・シューについて ウージェーヌ・シュー(1804-1857)はヴィクトル・ユゴー(1802-1880)とほぼ同じ世代の大衆小説作家である。社会ロマン派に属したこと、大衆に大変人気があったこと、第二共和政期に立法議会議員に選出されたこと、さ…

原典との遭遇

セガンが1843年で白痴教育に携わったビセートル救済院の「学校」については、ウージェーヌ・シューの新聞連載小説『パリの秘密』で描かれていることは承知していた。古書店で『パリの秘密』全4巻を入手し、「学校」が確かに描かれていることを確認したときは…

珍しさ、懐かしさ

1.昨日のこと、一人の紳士が研究室を訪ねてきた。微かに見覚えがあるような、無いような・・・。ぼくがこちらに着任した年のことも知っておられる。「生徒指導の研究の授業を受けました」「ほかの授業は何でしたか、それは100点をもらいました」という語り…

次の2文を比較しなさい。源泉は同一のフランス文です。

1.社会階層の最上層にしか生活のゆとりが及ばないときに、そして人間性がまだその全一性を経験せず、人民を軽んじる貴族政治のもとで傲慢にも打砕かれたままになっているときに、キリストへの信仰によって支えられ、地上の科学の柔弱な伝統を用いて神の前…

「孤立」ということ

昨日、セガンが白痴の状態を「孤立」だと言っていることに研究的な意味を見いだしたので、我が国ではどうなっているのだろうと、『石井亮一著作集』(全3巻)をアテにした。同著作集は石井亮一の死後に刊行されたもので、昭和15年発行の奥付がついている。映…

以下を訳しなさいーセガンさんの存在意義

Et pourtant, dussé-je me faire passer pour un monomane de dévouement, je ne cesserai d'appeler au secours de mes malheureux élèves la charité compatissante. Les idiots de famille, comme les idiots abandonnés, manquent de tout ce qu'il faud…

『乳母』というシステムから考えよう

1875年の『教育に関する報告』の中で、セガンは、「かの本(=『エミール』)の影響のもとで、母親たちは、いや特に父親たちは、もし私の幼少期の記憶が正しければ、日常の教育にエミール流のやり方を持ち込み、子どもたちが楽しみにものを作るにふさわしい…

三題噺

細君のいとこの奥方が亡くなったとのこと。今日がお通夜。ぼくは「身内」にしてはあまりにも離れている間柄となるので、欠席。細君が出る。 貴婦人親子が今日からアメリカへ。大いに楽しんできて下さいな。 一昨日から手がけていた「講釈師、見てきたような…

承承前

イタールの1842年著書は1821年の著書の第2版で、医学アカデミーが刊行したものだということを知った。ぼくが訂正しなけばならないのは、セガンが第2版だとしているが第2巻だ、訂正すべきだとしたことだ。ごめんなさい、セガンさん。 でも、書誌学的には正確…

承前

お昼は、久しぶりに、貴婦人と浅草もんじゃ。いつもおいしいもんじゃ焼き。ハーフアンドハーフをジョッキで。アルコールがかなり効き、浅草寺境内で急に貧血症状に襲われた。月曜日から貴婦人親子がアメリカに行かれるので、浅草寺でお守りを購入し、プレゼ…

いろいろ探し

どうにも無気力な一日。こういう時には目が輝くようなことをすればヨシ。 その1.セガンが書いている注記を確認すること。 1846年著書で、前書きの部分に、イタールについて注記がなされている。「アヴェロンの野生児の教育」について文献注記がなされてい…

分からない pary3

「分からない」は無限に続く。だから分かろうとする、という気力と実行力のある人は、ぼくに言わせれば、超人、イヤ、神、である。一応、神の世界に近づこうと思いっきり背伸びをしてはみるけれど、もともとズンドウ人間故、大して伸びはしない現実に見舞わ…

「服従」ということ

セガン研究の入り口で、我が国における研究の先駆者・清水寛氏から、セガンの白痴教育の近代史的先駆性について、しばしば教わった。「白痴は人間でないとされていた時代に、教育を通じて白痴もまた人間であることを実証した」というのがその趣旨であった。…

分からない part2

セガンは師イタール、エスキロルを批判する。とりわけイタールに関してはその哲学が間違いだとまで言う。では、イタールの死後約1年後に発表した第1教育論(エスキロルの添え書きつき)、第2教育論はイタール批判の上に成り立っているのか。 セガンのフランス…

眠れない、分からない

8月半ばから寝付きの悪さに苦しんでいる。とにかく、布団に入って3時間は眠れないのだ。今日こそは寝られる、と思って、布団に入る。その時は確かに眠い状態。しかし、布団に入ったらとたん、ドタン、バタン、ドタン、バタン。昨夜も、ついに午前2時頃布団か…

ちょっぴりクリティーク作業

セガンが「1856年論文」末尾で書いていたスペインの修道士たちによる精神療法のことが不明のままであったが、今日はちょっぴりそれを確認する入り口に立つことができたのではないかと思う。 セガン『1846年著書』の松矢勝宏氏による抄訳《明治図書世界教育学…

息を吹き返そう!

どうにも先に進む気力が萎えたため、貴婦人にSOS。ちょうど東京駅近くにご用があるとかで、お昼をご一緒していただいた。フカヒレ料理。あれこれ愚痴をこぼす。誠にどうしようもないやつだと自分でも思いながら、口からほとばしり出る。食後、丸の内界隈を、…

今日はちょっと英語文献を・・・

セガンの白痴教育実践の成立・展開過程の「形状」については新しい事柄は出てくることはない。いよいよ、その白痴教育実践そのものにチャレンジし始めた。が、どうにもこうにも、教養がないものにとっては道具なし、訓練なしにロック・クライミングの挑戦を…