「孤立」ということ

 昨日、セガンが白痴の状態を「孤立」だと言っていることに研究的な意味を見いだしたので、我が国ではどうなっているのだろうと、『石井亮一著作集』(全3巻)をアテにした。同著作集は石井亮一の死後に刊行されたもので、昭和15年発行の奥付がついている。映画「筆子、その愛」に描かれた人物だ。というより、我が国にセガン方式を直接持ち帰って実践をした人、と言った方がいいだろう。
 公式HPhttp://www.gendaipro.com/fudeko/
 1940年に発行されたものだからそれ以前の我が国における「白痴」の捉え方を理解するのに絶好の著書であろうと思う。「人間なのに人間とした扱われなかった人たちを教育によって人間であることを実証した人セガン」というぼくに刷り込まれた「人権論」では十分に捉えきれない時代の叙述をあらためて紐解いた。「白痴」と「狂人」「てんかん」とが概念的に未分化であり、従って処遇も未分化であることをようやく認識しはじめた我が国において、「白痴」のための施設を創設した石井亮一の迫力に満ちた所論に引き込まれる。セガンについて論述している箇所は数多いが、そのうち本題に即する所を次に引用する(多少、リライトしておく)。少々長い。
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 そもそもセガンの時代において、まったく世と隔絶せられて成長したと言われた子どもは10人ほどいたが、そのうち、アヴェロンの野蛮人というのはその一人であり、その他に名を知られているのは、カスパーハウゼルと名付けられた者である<注:17歳まで牢につながれて育ったという>。ハウゼルの死後、解剖した結果によれば、彼の精神発達の障害は脳髄の発達が不完全であったからではなかった、脳髄は、すべての精神の活動と興奮との欠乏によって、その発達を押し止められたに過ぎない、ということであった。セガンはハウゼルの研究によって、次のような結論を得ている。
 1.白痴は真に孤立している。
 2.白痴は発達可能である。
 3.孤立がいかに人間にとって不自然な状態であるかは言うまでもない。
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 9.白痴の孤立状態を解消するには、ただ、生理学的教授によってのみ可能である。
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 セガンがカスパーハウゼルについて記述しているというのは未確認。カスパーハウゼルについてもそのイストワール(Histoire)については熟知していない。戦前に関係図書が出版されているようだ。古書店に注文したが・・・。高い!