2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

8月19日から9月24日まで、全部まとめてパリぞろぞろ

8月19日午後にパリに戻り、平常性を保つようになった。平常性とはバカンス中のため、ぼくの大きな楽しみである朝市、古書店通いに大きな制限が加えられた、ということ。以下、可能な限り誠意を込めて、歩き回ったところをランダムに紹介しよう。 ●美術関係 …

8月18日オーセールは美し郷

「オーセール」という地名は、一時の我が国セガン研究史で「ドセール」だの「オグジュレ」だのの表記で伝えられた。原典に触れることのできない論文読者が、「はて、それは(フランスの)どこにあるのだろう?」と、詳細なフランス地図を広げても、見つける…

続8月17日クラムシーもバカンス中

オーセールに降りてK君に教わった手順でM君がオーセールークラムシー間往復切符を購入してくれた。これだから日本人男性大人、とりわけ大学教授は生活自立できないんだな。いつもこういう場面でそう思う。食事の注文もそうだし、色んなところに入場するのも…

8月17日旅は一期一会

ぼくは茶人ではないから千利休の言うような「今出来る最高のおもてなしをしましょう」という結語に導く「一期一会」ではなく、まさにたった一回の偶然の出会いを楽しませていただくこの日となった。 ホテルの朝食は7時から。しかしこの日は7時過ぎには宿を出…

8月16日カタコンブはディズニーランド並

早朝の食事前、近在のモンマルトル墓地に出かけ、イタール墓参。ついでに「わたしゃ、色気鳥だったのかい?」のお墓がまだ存在することを確認し、安堵。ホント、ぼく=日本人には考えもつかない墓標芸術である。 この旅の同行者の若き図書編集者M君は、カタ…

8月15日投宿

同日成田をANA機で午前11時半に発ち同日ドゴール空港1に午後4時半到着。同行のM君と共に、在パリのK君の出迎えを受け、K君の先導を得てタクシーで宿へ。宿はモンマルトル通りのHOTEL UNIC RENOIRなんちゃら。名前が長くで覚えられない。 この通りは別名クレ…

消えるセガン関連建築物

2011年8月20日、パリ、セヴル通りの廃墟建築物の存在を確かめに行った。この建築物の存在を知ったのは2005年2月25日のこと。セガンのごく初期の白痴教育実践を成果のあるものだと認めた小児科医のゲルサンが第2代院長を務めた「病弱児施療院」(現ネッカー子…

「今、私がコーヒーを啜っているところは…」

「私は彼らの中にいます。一群が腕をむちゃくちゃに振り回し、もう一群が声を振り絞って叫び、さらに数人の者が沈鬱な様子でいます。ある者は私が声を掛けるとニタニタ笑って逃げます。またある者は、私が腕を掴むまで、いつまでも私に敬礼し続けます。さら…

スクラップ アンド ビルド?

セガンの生誕の地クラムシーを訪問したのは2011年8月17日。前回の訪問が2009年6月末、2年振りの訪問となる。今回のクラムシー訪問は、これまで見逃してきたブヴロン川方面から市内に入る道筋の探索を主目的としていた。市の主たる機能を担い、セガンの生家、…

「セガン研究」における「神話」性

同僚のS教授から、茂木俊彦他訳ハナニー・ザムスキー著『精神薄弱教育史』(ミネルヴァ書房、昭和52年刊)を借り受けた。「索引を見ると、セガンがほら、こんなにたくさん・・・」ということでお貸し下さったのだ。我が国のセガン研究開拓と時期的に重なる翻訳…

ピョンピョン

パリ4区ヴォージュ広場からサン=タンヌ通りに抜けるパッサージュ(屋根付き抜け道)に面してしゃれた書店がある。名をHOTEL DE SULLY(オテル・ド・シュリィ)書店と言う。シュリィ邸宅跡の一角で開いているこの書店は、2000年のパリ滞在の最初の頃何度もお…

「歩いて歩いて〜♪」の旅より帰国

今回の旅の印象を研究という側面から写真で表現すると、こんなところだろうか。 8月15日日本を発ち今日25日帰国した今回の旅も、ひとことで形容すると「歩いて歩いて〜♪」がふさわしい。 日本時間で換算した一日の歩数は以下の通り。 8月15日 4083歩 自宅か…

最終チェック

明朝6時過ぎ自宅を出発。荷物がいつもの旅よりかなり多い。パリでお世話になる方からの要望に応えたことも一因。いわゆる手土産のほか、薬、書籍などなど。預け荷物、機内持ち込み荷物、セカンドバッグ(リュック)の「三点セット」。ニュースによると成田…

出かける前の一仕事

池袋ジュンク堂に注文本を取りに出かけるついでに、研究室に立ち寄って残務を整理しておこうと思った。いつもの西門が閉まっているのはお盆休暇に入ったからだろう。正門に向かう。門衛にストップをかけられた。身分証明書を提示したが、「今日は全棟停電な…

今回の旅も「余録」にあずかるか?

もう何年も前の旅日記より― 旅にはいつも余録が待っている。いつものように、パリ第5大学大学院のK君がその余録を運んでくれた。 「先生のエッセイを読んで、とてもおもしろい、と言っていた人をお目にかけます。Iさんと言って、フランス人をご主人にしてい…

昨夜の宴の余韻を味わいながら旅日程作成

15日から25日まで「セガン研究」の旅。ひとまとまりの報告はしたもののまだまだ未収集、未解明の事案が多くある。今次の旅でそれらのうちのほんの一かけでもいいから、出会うことができればと願っている。 15日月 成田 ANA機でドゴール空港へ向けて出発 同日…

店丸ごと「おめでとう!」

ガラスを透かして入り込む月の光が、「おめでとう」を高らかに謳っているようであります。乾杯! ガラス越しの庭の光と店内の光とが交差して、「おめでとう」の心を幻想のごとく写しています。 大好きなレストラン、オステルリー・ラベイが、東京のフランス料…

「パシリの鶴」

いよいよパリ入りが近くなってきた。パリでお世話になる人から、ご希望の手土産一覧が届き購入をしたのが札幌行きの前のこと。後は荷造りだけだと思っていたところ、モンテッソーリ協会の大会中に、携帯に「パリまで運んでほしい」一覧を記したメールが届い…

ズーム30倍とな

今日の午後7時前。まん丸夕陽―それはもう見事な夕陽でしたが、電車の中故、カメラに収められなかった―が西に沈んだ頃、ぼくは東武野田線船橋駅の柏寄りホームの端に立った。手にはカメラ。ずっと先の方のレールが赤く輝いているのが魅力的な光景を創り出して…

百態

札幌を離れ、職場に戻ってきました。学会でのささやかだけど、出会い、論争等の交流、そして研究の同志との毎夜の会食。忘れがたい時々となりました。そしてもう一場面は、やはり、動物との勝手な交流意識。印象深いショットを次に幾つか。 ○綱渡りならぬ線…

動物物語

昨日来、ホテル近辺ですれ違う人が、ぼくのことを振り返っているような気に襲われている。ずーーーーと前に、学生からあまりいい男ではない俳優さんに似ていると言われたことがあったが、昨今はまったくそう言われることがないから、さて、気のせいなのかと…

証拠

鶴爺が学会に参加するなんてことありえない、と疑いを持つ人々へ、写真を物証として提出しようではないか。 あれこれ道に迷った挙句に到着した大会会場前。 午前中の児童精神科医基調講演。復古的家族関係論。「お帰りと待つ人がいる家庭」を主張。では「お…

ホテル鳥小屋

夕刻札幌入り。覚悟はしていたけれど、相も変らぬ豚小屋、いや鳥小屋並みのホテル。汚いというのではない、狭い、息が詰まる。何故にここまでいろんなものを切り落としてしまうのか。「そうです。あなたは金を落とさない客だからです。」−つまんない正義面し…

「会食」への誘いをいただく

日本モンテッソーリ協会第44回大会(札幌、藤女子大学)で、6日の夜、会食をしましょう、とのお誘いを頂いた。もっとも苦手とすることなので、仲介の人(研究報告者)を通して、丁重にお断りをしていただくよう、返信をした。ひっそりと片隅で「セガン教具」…

旅の準備

午前中、郵便局ならびに市議会議員選挙不在者投票。柏に出たついでに文房具一式購入。赤青黒ボールペン、万年筆、付箋等々。っこれまで持たなかった筆入れを購入。これをいつも持ち歩けばいいわけだ。バッグのポケットにぽんと放り込んでいたことから少しは…

靴底は布製?

「パリの冬は厳しい寒さなのに…」 出発前、南フランスにしようかパリにしようかと迷い迷って、生活の拠点をパリに選んだときに多くの人から、半ばあきれたような声を聞いた。しかし、恐怖にさえ思っていたパリの冬は、日本の我が家の我が居室<北の狭ん所>…

「歴史」の捉え方

昨日の記事で、パリ・コミューン下での一つの出来事に対する二つの詩編を紹介した。そのうちユゴーの詩編はパリ・コミューン史叙述でたびたび引用される。大方はユゴーをパリ・コミューン側(つまり、反ヴェルサイユ政府側)に身を寄せていたと理解してきて…

ある出来事についての2つの詩

○一篇はビクトール・ユゴー『恐ろしき年』より流れた罪深い血と清らかな血で染まる 石畳の真ん中の、バリケードで、 12歳の子どもが仲間と一緒に捕らえられた。 ――おまえはあいつらの仲間か?――子どもは答える、我々は一緒だ、と。 将校が言う、よろしい、で…

ねこのしあわせ

ジャン・ガスタルディ原作 瀬田康司翻案 紐一本あれば かわいいドラゴンを たっぷり楽しませてくれる 「ぼくが がんこ なのではなく きみが なにも分かっていないのさ」 ねこは かくれても すぐに 分かってしまったり わざと 分かるように 爪が 引っ込んでい…