8月19日から9月24日まで、全部まとめてパリぞろぞろ

 8月19日午後にパリに戻り、平常性を保つようになった。平常性とはバカンス中のため、ぼくの大きな楽しみである朝市、古書店通いに大きな制限が加えられた、ということ。以下、可能な限り誠意を込めて、歩き回ったところをランダムに紹介しよう。
●美術関係 ギュスターヴ・モロー美術館。M君がモローの愛好家ということで、後をついて行った。K君も合流。この近在にセガンが公教育大臣の認可を得て独力で開設した白痴・痴愚のための教育施設が置かれたピガール通りが走っている。国鉄の駅で言えばサン=ラザール駅が近い、9区。さあ困った。モローの作品を展示から写真紹介をしようと思ったが、著作権との兼ね合いがある。写真を撮るのはフラッシュさえたかなければ自由。展示画にはまさに手に触れることが可能と思うほど、目の前にある。彼の絵画一覧は「ヴァーチャル絵画館 ギュスターヴ・モロー」で見ることができます。そちらへどうぞ。「私は見えないもの、感じるものだけを信じます。」と言うが、彼が感じるものとぼくの感じるものとの差異性を埋める悪あがきの見学時間だった。だからぼくは、こんな写真を残した。

 美術館は元私邸である。螺旋階段がフランスの家屋の作りを教えてくれる。
●朝市(マルシェ) パリへの旅で、これほど朝市の寂しさを感じたことはない。路面電車やバスでパリの街を移動していると、必ず、どこかで賑やかな朝市が開かれるのにぶつかったのが、これまでの旅。今回は「パリの朝市」というパリ市発行の朝市ガイドマップを頼りにして出かけたがオープンしている様子がない。そのマップは2009年滞在の折に入手したものだから、情報が古すぎるのか。で、唯一の幸せは、宿の近くの朝市。野菜、肉、魚、衣料、雑貨…出店は歯抜けながら(M君「寂しいですねぇ。」、ぼく「ヴァカンスなんでしょうねぇ。」)、それでも開いている店を覗き歩く。買ったのは昼食用にと魚介類のリゾット。スプーンをつけてくれない、手で食べるわけにはいかない。宿に戻り、使っていない宿備え付けのプラスチックコップと荷の中にしまってあった割り箸とを持ち出し、M君と、並木道に備え付けられたベンチで分け合っていただいた。この「分け合い」がよかったのだろう、美味しかったです。
 向こうにモンマルトル・タワーが聳えている朝市。午前8時と、店はまだ開ききっていない。明かりがともっている。旅人さんが両手で「ゴロゴロ」を引いて朝市の中を突っ切ろうとしている。抜けたところに地下鉄に潜る階段がある。

 店にはたくさんの生きのいいトマト。色も美しい。店の後ろに張り紙。ハウストマトの生産農家の直売のようだ。「豊穣なる大地」(PLEINE TERRE)の文字は、今の日本人には、まぶしすぎる。未熟な―永遠に熟することのない―原子力開発のまま電力使用を促進させた経済界よ、東電よ、政府よ、我々に豊穣な大地を返せっ!そんな思いを込めて写真を撮りました。

 翌朝、ひとりで(つまり、M君、K君を伴わず)徘徊をしたおり、朝市が開いていた。二日続けてなんて、いったいどういうことなんだ?いぶかり朝市巡りをすると、絵画、彫刻類の展示即売。その場で描いているおっさんもいれば、たばこをぷかぷか吹かしながら絹製のスカーフの店並べをしているおばさんもいる。こちらは、展示方法も含め、著作権に直接引っかかる可能性があるのでカメラをバッグにしまい、欲望に耐えた。・・・ほら、チョー短パン・ゴム草履・片肌大脱ぎのねーちゃんがパチリとやって、とっつかまって、怒鳴られている…。事の次第はどうなったのでしょうねぇ。自分はただで見せ回るのが趣味かもしれないが、芸術家は生活のために作品を作り、その作品がよく評価されるように展示に工夫を凝らしているのです。パリに来る前に、そんな当たり前のこと、ちゃんと勉強しておいで!それにしても、そんなカッコしている女性は、アジア人だけだったぞ。日本発恥ファッションなんだなぁ。
●森 パリ郊外にはふたつの大きな森がある。一つはパリ西郊外のブローニュの森、もう一つは東郊外のヴァンセンヌの森。M君とヴァンセンヌの森を散策した。この日、パリ西端のセヴル橋あたりの散策と併せて、パリ東西端と端の散策である。
M君「観光施設、何にもありませんねぇ。」
ぼく「・・・・」
 森なんだから、木々が豊かに生えている。森の真ん中を突き抜ける車道以外、木々の間を縫うように走っている歩道のみ、疲れた体を休める場所と言えば生い茂る草の上のみ。「せめてベンチぐらいほしいです。」欲求はぼくも同様だけれど、ぼくたちのためにこの森があるのではなく、この地の人々のために森はある。誰がために森は茂る、だな。
 黙々とジョギングする人影のみの光景に、構えるカメラ対象は木々となるが、面白くもない。「樹木のため息を聞いてみましょう」なんて哲学を有しないぼく。
 こんな光景のところから

 こんな光景のところに身を移し

 かすかに人の集団の息づかいを感じるようになった。そしてM君が求めるベンチが多く置かれている光景を目にした。喜び近づくと、サークルで囲まれている。背が低いがぼくには脚を上げて超えられない。M君は何の苦もなく柵を越えベンチに腰を下ろす。脚の長短の問題ではないだけに、ことさら惨めな思いとなる。
 サークルとベンチのスクエアーは児童遊園の証。

 砂遊びに興じる傍らで父母集団(断じてママトモなる訳の分からない女性のみの閉鎖集団ではない!)が談笑している。中に綺麗な日本女性が一人混じっていた。その相方は、なんとなんと、美しいフランス人男性、しかも若い!彼ら親子集団がランチタイムで解散するまで、ぼくとM君とは、フランス社会の子育ての姿を観察し続けたのである。
 カラーボールを使ってペタンクを教える父親と、学ぶ坊や。なるほど、老いも若きもペタンクに興じる源がここにあったのだ。

●川というか舟というか パリを東西に突っ切るセーヌ川は汚い川である。そのゆったりとした流れが川の自浄能力を低めているのだろう。その汚い川を、人間は、遊興に活用する。ぼくは拝まれてもその仲間に入る意志はないけれど。
 地下鉄ポン・ド・セヴル駅を降りたった。暑い。そしてセーヌ川に架かるセヴル橋の手すりの熱さと言ったら、ウズラの卵程度なら、目玉焼きができそうだ。川面では人工・人造アメンボウがスーイスイ。


 これ、30倍ズーム撮影でんねん、三脚無し。新機機能使い試しなり。
 川の向こうには、サン・クルーの街並みが美しい姿を見せてくれていた。1871年3月末、壊滅的なほどに軍事破壊がなされた地である。
 帰国前日にはオルセー美術館をめざしたが、長蛇の列。ぼくはさっさと入館をあきらめることにし、セーヌ川岸に腰を下ろし、行き交う観光船の観察をした。観光船の天蓋のない二階に人が群れている。このクソ暑さに耐えてまで、船遊びをしたいのだなぁ……この暑さの中、何の楽しみがあって、川岸に腰を落としているのさ、という嘲笑が聞こえてきそうである。
 真夏のセーヌ川はそんなバカどもをもてあそんでいた。
●敬虔 ぼくはキリスト教徒ではない。しかし、キリスト教が産み出した仮想世界は、時として、美しいと感じる。とりわけ、サン=シュルピス教会とマリア像は2000年度のパリ生活の中での心の安らぎを与えてくれた。それ以降、パリに旅をする度に、サン=シュルピス教会に足を運ぶ。
 教会はずっと改修工事を続けてきた。2000年の時にはすでに工事が開始されていた。2009年でもそうだった。ところが今年は工事が終わっていた。やっと、双塔の教会建築をこの目にすることができた。

 ロベスピエールが革命期、政府をこの教会に置き、教会ファサードの半月型の板に「至高の存在」と落手した。上の写真の中央部階段を上って石柱の間を抜けた正面入り口の上部に、その半月板がある。
 その筆の痕を今でもかすかに読み取ることができる。それを目にするために脚を止める人は確実に減っている。落書が薄くなっていくとともに人々の耳目から「史実」が消えていくのだろうか。2000年はじめてこの「史実」を知った時、まだ性能が十分でなかったデジカメで撮影し、画像をできるだけ引き延ばし、読み取れる文字を紙に書き写し、辞書を引き引き意味内容を知った。フランス語に真っ正面からぶつかった初めての経験であった。

 さて、教会に入ろう。ドラクロアの絵画が掲示されているコーナーは人気だ。ぼくはキャツの絵は好きではない。セガンの痛烈な批判に出会う前から嫌いだぞ。だから、写真はアップしません。
 聖堂の真正面に鎮座まします幼子キリストを抱いたマリア像。ちょっと焦点が合ってませんね。腕を磨きなおします。

●学問の殿堂に真実の光を 木の橋(「ポン・デ・ザール」芸術橋)がルーブル宮殿と結んでいるのが学士院。フランスの良心がここで常に検討され、伝統が守られ、革新が計られている。その学士院の上に太陽が差しかかった時をカメラに収めた。

 この建物の中にマザラン図書館が入っている。世界一古い図書館だそうだ。臨時利用で入館したことがあるが、研究者は恒常的に利用したい機関である。そんな誇りと願いを写真に込めた。
 
 これでぼくの旅記録は終わりです。明日からは日常が始まります。健康でいましょう。