8月18日オーセールは美し郷

 「オーセール」という地名は、一時の我が国セガ研究史で「ドセール」だの「オグジュレ」だのの表記で伝えられた。原典に触れることのできない論文読者が、「はて、それは(フランスの)どこにあるのだろう?」と、詳細なフランス地図を広げても、見つけることはできない。「横文字を縦に直すだけ」(しかしその横文字の日本語発音表記に精通してない、否、地理学的な調査能力を持たない)の明治期的研究の犠牲になるのは読者である。念のため、原語綴りはauxerreである。フランス中東部に位置する。さらにまた、呼び名はオーセールとされるようになったが、突如セガン生誕の地として歴史記述に登場するようになった(津曲裕次、2010年発表論文)。
 …と、まあ、色々と書きたいことがあるが、旅を楽しみましょう!
 2枚の写真を見比べよう。

 
 アングルの異同ではなく色合いの異同。上が2009年6月3日撮影、下が2011年8月18日撮影。この2枚の写真の色合いの違いはこの地の初夏と盛夏との太陽光線の勢いの違いを示している。
 建築物―サン=ジェルマン大修道院等―の姿を水面に映している川はヨンヌ川。下ってパリを東西に貫くセーヌ川と合流する。左手方向がクラムシー、右手方向がパリとなる。クラムシーから運行されてきた筏が緩やかに穏やかに進み、そして筏師親方の舟歌が高らかに誇らしげに響き渡る地点である。筏の上の預かり荷を下ろす―ロマン・ロラン「コラ・ブリュニヨン」に、筏に預かり荷が乗せられていたことを示す場面が綴られている―ために、筏はいったんここで接岸する。我らがセガンも薪材の列筏を川辺で眺め、筏師親方の舟歌を聴き、荷下しの作業を眺めて、幼少年期を過ごした…はずである。
 ずっと昔から、風光明媚な郷としてヨーロッパに知られ、同時に、青少年たちを古典に誘う魅惑的な学問都市として栄えた。中世にはヨーロッパから2000人もの学問青少年を抱えていたという。次は18世紀初頭に建てられたチャペル。この建物で、若者たちが司教の手引きを得てギリシャ語などの古典を学習した。今日で言うセミナーハウスのハシリである。

 チャペルはコレージュとリセとを併設するジャック・アミヨ校敷地内に建っている。新学期前の長期ヴァカンス中とあって、校庭に人影はなかったが、チャペル階段では、我が国の「うんこ座り」と同じ派閥に属するであろう少女2人が時を過ごしていた。また別の時には、放浪中と思われる青年と犬とが階段で陽射しをよけていた。ぼくとM君は、いかなる形であっても彼らと交わり会うことを避け―いや、お犬様がぼくをクンクンクンクンと嗅ぎわけていたのだが―、ジャック・アミヨ校の古き縁を求め、旧正門を訪れたのである。ぼくにとって3度目の訪問で、やっとのこと、「後片付け中」とか「工事中」とかの障害物が無い状態で、写真撮影に成功(?)することとなった。セガンが寄宿生活を送った当時の学校正面そのままをお目にかけましょう。

 オーセール近代史を写真で綴った案内書によると、同校は、良家の子息がパリの大学で学ぶための予備門としてある、と説明されている。原則全員寄宿生活を送る。非常に厳格な指導がなされていた。なお、その説明書に掲載されている写真によれば、同校には初等科課程(普通教育で言う小学校)が併設されていることが分かり、ぼくが史書で調べ得た結果に間違いがないことを知り、安堵した。セガンもその教育を受けた一人である。そしてきわめて優秀な成績を収め、パリの、大学とは違う超エリート養成校グラン・ゼコールの予備門特級コレージュ・サン=ルイ(今日のリセ・サン=ルイ校)に入学した…。
 オーセールは、なんと言っても、中世の面影を強烈に残している街として紹介する必要があろう。中世のコミューン(共同体)を特徴付けるのはその共同体の精神的政治的支配の頂点である教会と城壁とであるのは、オーセールに限らずヨーロッパのいずこもそうである。クラムシーは小規模ではあるが、この特徴をオーセールよりは強く残している。なるほど城壁の痕跡を探すのはなかなか困難な作業であるが、宗教施設ではクラムシーと比べようもない。冒頭の写真でそのあたりを推測してほしい。
 それもそうだが、やはり、これをおいてはオーセールを語ることができないだろう。これ、すなわち我が研究の旅路では何よりも意味を持つ、本ブログ「2011年8月26日ピョンピョン」の記事で紹介した、セガンの母方の祖母終焉の家である、いや、この家に表象したいハーフティン・バー建築様式の家屋の数々である。なお、ぼくはハーフティン・バーと綴ったが、オーセールで発行されている当該家屋に関する書物ではLE MAISON A PANS DE BOIS (ル・メゾン・ア・パン・ド・ボア 直訳すれば、木の壁の家)となっている。
 まずは、「セガン祖母の家」、続いて、街のあちこちに見られる家々の写真を紹介しよう。いずれも16世紀から17世紀に建設された現役家屋である。



 ほえ?ジャポネがわてに何か用だす?わては修道院壁面窟に住む番鳩だすがな。「失礼しました。」

 などなど。そして、オーセールの街の象徴門ガロ・ロマン期の城壁門と時計塔。

 歩き回る毎に新しい発見がある街オーセール。是非、ゆっくりご案内したいものです。我らが定宿の看板写真でしめることにしましょう。

 オーセールのかつての城壁の外、ヨンヌ川沿いの落ち着いた環境にあります。三つ星ホテル。パリも三つ星ですがねぇ。