「歩いて歩いて〜♪」の旅より帰国

 今回の旅の印象を研究という側面から写真で表現すると、こんなところだろうか。

 8月15日日本を発ち今日25日帰国した今回の旅も、ひとことで形容すると「歩いて歩いて〜♪」がふさわしい。
 日本時間で換算した一日の歩数は以下の通り。
 8月15日  4083歩 自宅から成田空港への移動その他
 8月16日 17474歩 パリ市内周遊(イタール墓参、イタール実践舞台の天文台周辺、ソルボンヌ、クリュニュー外周等)
 8月17日 20777歩 パリ→クラムシー→オーセール(セガン生家、セガン幼少年期祖母の家)
 8月18日 23043歩 オーセール(セガン修学機関)
 8月19日 15870歩 オーセール→パリ
 8月20日 22521歩 パリ(ヴォンヴのノミの市、ヴァンセンヌの森散策、植物園、女子不治者救済院跡地、セヴル橋)
 8月21日 17497歩 パリ(男子不治者救済院跡地内部に入る。モロー美術館)
 8月22日 21960歩 パリ(ヴォージュ広場、医学史博物館、芸術橋、サン=ジェルマン・デ・プレ教会、ヴォルテール広場)
 8月23日 22464歩 パリ(ペール・ラッシェーズ墓地、サン=シュルピス教会)
 8月24日 18179歩 パリ(地下鉄と路面電車乗り継ぎの旅)→ド・ゴール空港
 8月25日  5632歩 成田→自宅 
 セガンに関わって、色々の「新しい局面」の気づきがあった。クラムシーでは生家のファサードが改修のためか、取り壊しのためか、工事の手が入っていた。オーセールでは「祖母の家」が17世紀建築物であることを知る。つまり、セガンが育った家そのものが今も残されている、ということだ。また、セガンが修学したジャック・アミヨ校は地元史書によれば「良家の子息のための学校」で「パリの大学に進学するための予備的な学校」とあった。また、同校創設の源となる16世紀建築物の礼拝堂が残っていた。パリでは女子不治者救済院が、とうとう、解体工事が開始。皮肉なことに、これまで外から覗うことができなかった建物の全体を覗き知ることができた。これはこれで貴重な歴史との遭遇である。来年の訪問時には―もし訪問するとしたらだがー近代建築様式になるアパルトマンが工事進行中のことだろう。また、セガンが白痴教育を医師の指導管理下で行うことを命令され医師との対立の発端となった男子不治者救済院跡地―現レコレ国際交流センター<これは地図には描かれていない建築物>ーではカフェ兼昼食レストランが開業されており、内部に入ることができた。そこは、フランス革命前は礼拝堂、革命後は講堂として使用されていた空間であり、ここでセガンが身体訓練の一部の実践を行っていたところであろう。ゼガン実践場で現在確認できる唯一の場である。
 資史料の発掘は叶わなかったが、贅沢を言うものではないと、言い聞かせている。