ある出来事についての2つの詩

○一篇はビクトール・ユゴー『恐ろしき年』より

流れた罪深い血と清らかな血で染まる
石畳の真ん中の、バリケードで、
12歳の子どもが仲間と一緒に捕らえられた。
――おまえはあいつらの仲間か?――子どもは答える、我々は一緒だ、と。
将校が言う、よろしい、ではおまえは銃殺だ。
順番を待っておれ。――子どもは幾筋もの閃光を見、
やがて彼の仲間たちはすべて城壁の下に屍となった。
子どもは将校に願い出た、ぼくを行かせてください、
この時計を家にいるお母さんに返してくるから。
――逃げるのか?――必ず戻ってくるよ。――このチンピラ
恐いのだろ!何処に住んでるんだ?――そこだよ、水くみ場の近くだよ。
だからぼくは戻ってきます、指揮官殿。
――行ってこい、いたずら小僧!――子どもは立ち去った。――見え透いた罠にはめられたわ!
それで兵士たちは将校と一緒になって笑った、
瀕死の者も苦しい息のもとで笑いに加わった。
が、笑いは止んだ。思いもかけず、青ざめた少年が
ぶっきらぼうに戻って来、ヴィアラのように堂々と、
壁を背にして、人々に言った、ただいま、と。

 愚かな死は不名誉である、それで将校は放免した。
 
○もう一篇はシャルル・ヴェルク「小さなコミュナル」より

子どもは15歳、壕の中にいた。
不意をつかれて、軍の手におちた。
バリケードの近くにいたヴェルサイユ軍の将校が、
子どもを呼び寄せ、こう聞いた、「坊主、そこで何してた?」

子どもは叫んだ、「 ぼくはコミューンの兵士だ。
それでおまえらに背くというのなら、けっこうだ、ぼくを撃ち殺せ!
人を殺すなんて、おまえらには、あたりまえすぎることなのさ
気兼ねせず、迷いもしないでおやりになることなんざ。」

将校は少年の死を決め、壁へと移動させた。
子どもはことばを続けた、「ねぇ、ここにあるぼくの時計を、
すぐ前の、家にいる、お母さんに、
渡してきたいんだ。ほんのちょっと。行って帰ってくる。」

そして少年は兵士の手を振り切り、
2分後には、少しも動揺を見せず、
姿を見せた、決然と、自分から。
少年は約束を守り死を望んだのだ。

元の壁の前へ、将校は彼を連れて行かせた。
兵士たちが発砲した。少しもたじろぐことなく、
子どもは、暗黒の運命に身を任せ、
崩れた、両の目は悪魔の将校をキッと見据えながら。

○さて、少年はユゴーの言うごとく放免されたのか、ヴェルクの言うごとく射殺処刑されたのか。史実はどうなのだろう。そもそもこのような処刑場面があったのかどうなのか。興味はそちらにも向かうが、ぼくの今は、ユゴーが限りなく子どもを慈しんだ自由主義的博愛主義者であり、同時にヨーロッパ至上主義の植民地主義加担者であったこと、ヴェルクは社会主義詩人であるという所に、強い関心が向いている。歴史過程における自由主義者社会主義者