8月16日カタコンブはディズニーランド並

 早朝の食事前、近在のモンマルトル墓地に出かけ、イタール墓参。ついでに「わたしゃ、色気鳥だったのかい?」のお墓がまだ存在することを確認し、安堵。ホント、ぼく=日本人には考えもつかない墓標芸術である。

 この旅の同行者の若き図書編集者M君は、カタコンブに是非行きたいと、強い希望と期待とを持ってこの朝を迎えていた。ぼくは2000年に一度だけ訪問したことがある。薄暗く湿気っており、人骨の壁に迎えられるこの空間地下墓地にはぼくとぼくの連れ2人の計3人しかおらず、敬虔さを存分に味わった。その後、明るい空間に模様替えしたという情報に接して以降、カタコンブは様々な「無礼講空間」に変質しているとの「噂」も聞いていた。さて、どうなんだろう。
 K君に先導されてカタコンブに到着。まだ開場?開館?前であるからだろうけれども、長蛇の列。お手々繋ぎ諸肌出しゴム草履からはみ出ている緑色の爪の不気味さ、連れの雄の形容しがたいだらしなさ、等の類型がいっぱい蠢いている様は、決して敬虔さと同質の世界ではないと、ぼくは断じて思う。そんな輩がキャピキャピと列をなしている…。「ここはディズニーランドですねぇ。」そのぼくのひとことで、M君は列に並ぶのを放棄した。ぼくのディズニーランド嫌いを知っているからだ。こんな様子、写真など、撮る気も起こらない。パス。
 この近在は、じつはぼくの研究的フィールドワークのところである。イタール実践と深く関わるパリ天文台、パリ聾唖学校、リュクサンブール公園等々。それと共に、非常に魅惑的なブティックがある。修道女たちが生産した品を修道女たちが販売する店、元棄て児施療院の一角にそれはある。あ、やっぱり「修道女」はジェンダー表現なのかな?修道師?実在とはまったく異質の単語だな、こりゃ。

 正面が元棄て児施療院のファサード。写真では写っていないが、ブティックはその右手にある。
「ブティックに行きましょう。」「先生のお好きなヌガーやマドレーヌがおかれていますね。それとご家族へのお土産の品もありますね。」・・・
<8月いっぱいはヴァカンスのためお休みします。注文はwebでできます。>
 この張り紙は、ぼくの中に住み着いている「修道女」像を完全にぶちこわしてくれた。それと、この時期、まともなフランス人ならばヴァカンスを存分に楽しんでいるのだというのは、嘘でも誇張でもないことを、思い知る発端なったのである。とほほ。
 ブティックへの道で天文台を裏手から観察した。古い木造建築物に、もしやあそこで、ヴィクトールが牛乳を飲んだのだろうか、等と考え、夢中でシャッターを押した。が、出来上がったものを見ると視写で感じた様相は少しも表現されていない。まったくなっていないカメラワークだ。それでもとりあえず、アップ。

 天文台敷地内にはフランスの文芸家協会があるが、M君が丹念に写真撮影をしていた。さすが職業柄だなあ。
 その後はカルチェ・ラタンに歩を進め、大学人として憧れてやまないソルボンヌの敷地内に入り、思う存分、その歴史的偉容を脳内にたたき込んだ。ぼくの狂気のような喜びに比して、K君、M君はきわめて冷静、座り込んで二人で何か談笑して時間を過ごしていた。

 ソルボンヌを出て、近在を散策。セガンが学んだ旧制コレージュ、サン=ルイ校、パリのど真ん中でニョキッと土の下から中世が顔を現しているが如きクリュニュー邸(中世史博物館)などを眺め、ジベールという書店でセガンが実践記録に書いている「石工の梯子」「石切り工の梯子」の具体を知るべく資料探しを行った。これにはK君の大いなる力が頼りであったが、残念ながら、成果は無し。

 上の写真は中世史博物館。最近こり始めた被写体の捉え方の構図を用いて。…はい、もっと勉強します。
 夕食を共にし、宿に戻る。この日も存分な睡眠に恵まれなかった。