『乳母』というシステムから考えよう

 1875年の『教育に関する報告』の中で、セガンは、「かの本(=『エミール』)の影響のもとで、母親たちは、いや特に父親たちは、もし私の幼少期の記憶が正しければ、日常の教育にエミール流のやり方を持ち込み、子どもたちが楽しみにものを作るにふさわしいようにと、熱心であった。」と書いている。これでセガン研究では、セガンは『エミール』の影響を受けた父親の子育て方針の下で「幸せな子ども時代を送った」とされてきた。「ルソーは善なる存在である」とする近代民主主義教育観ならではの解釈である。
 しかしぼくは、このセガンの回想を眉唾で読んでいる。ルソーや『エミール』の名を殊更出す必要もないような、習俗的な遊び・生活であるから、ということもあるが、セガン自身の生育環境のことをどうしても考えてしまう。19世紀前半期というのは、セガン家のような階層(上流階級)の子育ては、
 乳児期は住み込みの乳母、
 幼児期は外に預けられる代親
 少年期前期には家庭教師か古典を教える私塾
というのが平均像。それがセガンの育ち方と一致する、とぼくは思ってきている。
 それを明らかにする作業のためにこそ、アメリカ時代の文献ではなくフランス時代の文献を読まなければならない。断片的にではあるが、これに適う記述を拾い出すことはできている。

 今日は、19世紀前半期の「乳母」システムについての文献を求めた。「ジャン・ジャック・ルソーの主張以降も、長い間、フランスの婦人たち、パリの婦人たちは、我が子に授乳しないことを続けてきている」と記述のある文献を探し出し、ほっと一息をついた次第。