いろいろと見つかる

見つかったその1
 ETHNOEDUCというブログでEdouard Séguin, l'instituteur des "idiots"と題された論文がアップされているのを見つけた。この表題自体は陳腐ではあるが、セガン以前、セガン、セガン以降という時の流れでセガンの業績を追っている点、ぼくには復習の意味をこめて、見過ごすわけにはいかない論文である。セガンを「実務型」の探求者だと位置づけ、ドクロリーはともかくコルチャックと並べているのは目新しい。また、(ピガール通りに)学校を建てて実践をしているというタイプとして、モンテッソリー、ニール、フレネなどの名前を挙げている。なるほどなー。こういう論の建て方もあるわけね。だったら、我が国にはわんさかいるね。吉田松陰福沢諭吉・・・。いえいえ、石井亮一こそ通底している人物でしょう。それにしても、フレネとの「連続」性については、きちんと考えなければならないな。
 この論者は、ピガール通りの学校をセガンの父親が建てた、としている。うーん、金銭的な意味ではそうだろうとは思っていたけど、こういう風に文字化するところまでは考えていなかった。だけど、公教育委員会の認可書類に「セガン博士によって申し出られた云々」とあるから、案外、セガンの父親の名義を使ったのかもしれないな。
見つかったその2
 セガンより早く、イディオの教育可能性を論じたベロームという人の論文をネットで検索。直接それを語る論文「イディオティー論」を見つけることはできなかったが、関係する記録を1843年の医学アカデミー年報で発見。さほど頁も多くないことだから、読みに入ることにした。
 だから、シューの「学校の先生」の訳は、今日も、後回しになる。