セガンさん、大都会に出て、爆発したのか

 イディオの教育についての学習はいっかな進まないが、セガンという人の歩いた道と立ち寄った館については、だんだんはっきりとしてくる。
 東フランスの地方都市で幼少年期を送ったセガンがパリに上ったのは何歳の頃なのだろう。とにかく、パリのセーヌ川左岸カルチェ・ラタンにあるリセ、サン=ルイに学籍を置いた。非常に優秀な生徒だったらしい。1829年8月18日には数学が特段に優れている、として表彰されている。このままではエリート街道まっしぐらだったはずだ。
 昨日、入手した新しい史料、1830年の「7月革命」の勲功者一覧。その中に我らがセガンさんの名前を見いだすことができる。きっとこの革命参加が、彼の向後の人生を支配したのだろうと思う。
 それにしてもだよ、18歳で、政体をひっくり返す方に与して闘った、その戦い振りがみごとであった、というのだから、いったいどんなことをしたのだろう。20歳になったら「兵士」の資格を得ることができるが、まだその前、今でいう高校に就学中だ。「革命」というのだから、銃弾が飛び交う、大砲の弾があっちこっちに落ちる・・・。戦争だよ。それに与した、しかも、国家転覆の側に。我が国では「明治維新」が擬したものとして語られるが、少年たちの話は聞かないなぁ。よほどの正義漢で、正義の理論を武装したのだろうなぁ。
 それから18年後の1848年革命。この時にセガンが武器を取ったかどうかまでは分からないが、やはり国家転覆側、つまり革命勢力の側についている証拠物件を、昨日手に入れた。これまであらゆる史書にも登場してこない組織名が書かれている。そして「1789年の革命は人権を宣言した。1848年の革命は労働者の権利を宣言する。」との一文を含むアピールを「労働者」に充てて出している。この労働者は、いわゆる近代労働者・工場労働者のことで、職人労働者ではない。この時代に多くの社会主義理論、共産主義理論が誕生し、実践に移されつつあったが、セガンさんは、そういった社会変革の理論武装もしたのだろうなぁ。
 えらい人よのぉ、セガンさん。