我らがセガンさんはどのセガンさんでしょう

 フランスのセガン研究者が「セガンは『ラ・プレス』という新聞に芸術論を寄稿している。それだけでなく、『ラ・プレス』紙の発刊に関わっていたようだ。」と書いている。それを手がかりとして『ラ・プレス』紙の寄稿評論を探し当てたのは数年前。今日は、それが確かなことなのかを、検討するべく、『ラ・プレス』紙を創刊号から頁をめくる作業。膨大な頁になるので、今日、今までできたのは1836年8月まで。1ヶ月分だ。 いや〜、まいりました。

 セガン氏
 セガン兄弟
 セガン兄
 ジュール・セガ
 マルク・セガ
 その他、いろいろ・・・

 某氏が古書店に「ルソー、イシー?」(当人の内言は「ジャン・ジャック・ルソーの著作はここにありますか?」)と尋ねたら、お隣のアパートにルソーさんの名前のある弁護士プレートを古書店の親父さんは案内した・・・。まことに笑い話だが、我らがルソーさんはただ一人しかいないが、ルソーさんはわんさかといる。セガンもまったく同じこと。
 マルク・セガンは名前が違い、また身内でもない他人だから、すぐノートから抹消。
 ジュール・セガンというのは我らがセガンの弟と同じ名前。でも、ここに登場するのがそうだかどうだかはわからない。第一、弟ジュールの足跡など何も知らないのだから。医師になったことだけは間違いないようだ。もし、このジュールが弟だとすれば、かなりの確率で、セガン兄弟、セガン兄は我らがセガンと重なる。さて、どうなのだろうなぁ。
 どういう仕事をしたことによって紙面に名前が載っているのか。肩書き調べもする。
 曰く、
 吊り橋・・・
 経済の再編成・・・
 貿易人・・・
 あれ〜、我らがセガンの肩書きとは重ならんぞな。それとも我らがセガンは二足のわらじを履いていたのでありましょうか・・・。
 で、元に戻る。芸術評論を寄稿した、とあり、確かにその芸術評論を読んだけど(さっぱり分からない内容だったなぁ・・・)、それが我らがセガンの作品であるという証拠はいずこにありやなしや。

 こんなこと、すでに研究で明らかにされていなければならないと、ぼくは強く思う。何せ、セガン研究は100年前には始まり、本格的には1960年代からだ。
 ふと、ある研究者の言動が頭をよぎった。ある研究者はブルヌヴィルという現代児童病理学を確立した人を研究対象とし、博士論文を執筆する意気込みだった。ブルヌヴィルはセガンの実践的研究的成果を蘇らせた人でもある。しかし、ブルヌヴィル研究で博士号を得た人が現れたという情報を聞くと、その研究者はブルネヴィル研究を止めたそうだ。ぼくには訳が分からない行為だが、他人の歩いた道は歩かない、というのが研究者のモラルであるという。「オレのやることに手を出すな。」あの人のモノに手を出しちゃダメですよ」―本当にこんな倫理を振りかざしているとすりゃ、ヤクザ以下だね。
 なるほど、セガン研究を本格的に手がける人がいないはずだ。大御所がどんと控えておられますものね。ある若手の研究者は「ぼくらはおかしいと思っても、大先生を批判することはできません。何せ、あらゆることで、手綱を握られておりますから。」といっていた。くだらな現実に縛られて、研究の本質が進まない。