原典との遭遇

 セガンが1843年で白痴教育に携わったビセートル救済院の「学校」については、ウージェーヌ・シューの新聞連載小説『パリの秘密』で描かれていることは承知していた。古書店で『パリの秘密』全4巻を入手し、「学校」が確かに描かれていることを確認したときは胸が高まった。しかし同書はかなり最近に再刊されたものである。その元は1851年版だと推察される。だから、これでは、「学校」が描かれたのはいつのことなのか、不明であった。原作を掲載した新聞は『ジュルナル・デ・デパ』、連載は1842年10月から1843年10月まで。1842年内に「学校」が描かれていたら、そこにはセガンの影を認めることはできない。どうしても、原典を探し出す必要があった。しかし、今日に至るも、パリの古書店でもネットの電子版でも見つけることができないでいた。
 あれこれ検索を繰りかえして、ようやくのこと、フランス国立図書館電子データサービスで見ることができた。『ジュルナル・デ・デパ』1843年8月から9月にかけて、ビセートルが描かれ、その中で「学校」の様子を見ることができる。「Maïte-d'École 学校の先生」というタームも使われ、人物描写もされている。どうやら間違いないようだ。この人物描写はしっかりと訳出したい。なかなかお目にかかることができない史料と出会い、なんだか幸せな気分の今。