エドゥアール・セガン作「筏師たち」(全訳)

 あなた方、この世の幸せ者、すてきなパリっ子たちで、誰か、快適な暖炉を進んで悪く言うような者がいるだろうか?渦巻く炎を見つめて過ごす時、パチパチ爆ぜる陽気な火花を見入り、やがて勢いが弱った炎をかき集め、とうとう最後の火が尽きようとしてしまうころ、(まだまだ?もう最後?と)炎に真顔で訊ねることの繰り返しをする。結局は残り火の移り気で愚かなご託宣をさえ呼び起こすことができなくなる。あなた方のところに田舎の人々が大都市に高く売りつけるこの貴重な燃料を届ける人に、どうして(薪をもっと届けてくるように)言わなかったのだろうか?霧に包まれたロンドンがパリをうらやむように。あなた方は次のようなところや人を知っている。サンゴで赤くなった海岸、砂にダイアモンドが埋まっている裕福な国、カシミアの谷間、あなた方の白てんで白くなった雪の北国、手袋が手にはめられあるいは使われずにしまわれているヴェニス、あなた方のすてきな足下のジュータンを拡げるシミルン人、あなた方の頭に彼らの無遠慮なヴェールを投げるマリーン人、ヴァランシアン人、ブリュッセル。でもあなた方は、こうした楽しみがどれ一つとして1年の8か月の間は存在しなくなってしまうような、ただ一つの物を生みだしているところについて、知っていない。身体を温めてくれる燃える暖炉を囲んで、素晴らしい部屋で私たちが集うことがないとしても、あなた方はジュータン、ダイアモンドや白てんの装身具が必要だろうか?
 この薪材は、トラン(列車)に形が整えられ、筏師たちによって、モルヴァンの森から届く。このモルヴァン、このトラン、この筏師たち。疑いなく、最初はあなた方の耳に届くが、忘れられてしまう三つの言葉、あなた方が知らない産業、あなた方の幸せな生活にとって決して疲労を覚えさせない奇妙な存在。一年中、いつも未開拓なようなこのモルヴァンの森は、それほど、豊かであり、気楽に、横柄に小川に垂らしているたくさんのコナラの小枝の冠を強調している。森が木々に言う−この冬パリは寒かろう。倦んでしまったこの都会をすこし暖めてやろう!− それからゆったりとした流れがその重い宝物を運び、あらかじめ準備しておいた水門にため込む。すべての伐採木がぎっしりと塊を作る。
 どれだけ時間がかかろうとも、流れはクラムシーに届く。そこで、薪材は鈎で川から引き出され、ヨンヌ川の両岸に、人一人通り抜ける隙間なく長く高く積み揃えられる。こうして並べられた薪材は、たいてい、クラムシー近辺のアルム村からプッソー村に至る川沿いに拡がる地域を占拠する。そうなのだ、川に沿ってくねくねと曲がりくねったこの帯状の地帯が好都合なのである。間違いなく、戦時の隊列は、この帯状が動き回るので、とても面白い。しかしこの隊列は威厳があるのでもなく、大きくもなく、小さくもなく、計り知れないというほどのものでもない!いずれにせよ、有用性は大きく、劇は満員である。隊列が一つ消えると、別の隊列がそれに続く。勇気はあらゆる世代のものだ。しかし、暖炉がこの二つの薪材の壁を焼き尽くし、名もない川が涸れ流れを止めると、パリ、パリの隅々までが、指に息を吹き付けねばならない寒気に対して、他に替わるものがないのだ。だが、そのようなことになるなんて、心配しなくてよい!筏師たち、彼ら疲れを知らない水夫たち、建築家でもあり建造者でもありパイロットでもある彼らが、私たちのために、骨の折れる職能を引き続けてくれる。
 3月の雨のころ、川の水かさが増し始めると、周辺の地域から、多数の人々、その妻、その子どもたちが集まる。すべての人が入り交じる。力強い若者が積み重ねられた薪材を揺さぶる。薪材は崩れるが、ほとんど事故はない。それから乙女たちが一輪車を近づけ、子どもたちがそれに薪を積み込む。老人たちはこの薪を集め15ピエ(5メートル弱)の長い棒で支える。若者がカードル(枠)の中に薪を入れる。力強くハンマーで打ち込む。このトランのうちの一つをブラーンシュと呼ぶ。4つのブラーンシュが四角に結びあわされ一つのクーポンを形づくる。18のクーポンが一つのトランとなる。これらの労働のすべてが川岸で遂げられ、どのブラーンシュも川に運び込まれた時、つまりすべてができあがって、ブラーンシュは、それぞれの間をルエ(直径1プス(3センチ弱)長さ15から20ピエの棒で、柳の枝のようにしなやかに曲がるように加工されている)で縛り付けられ、一番近くの運河水門が開けられた時にいつでも出発できるよう、トランを作る。
 どのトランにも二人が乗りこむ。助手は子どもである。働きぶりから借りて、ブート・ダルジュ(見張り役の意か?)の名がある。彼はトランの最後尾を操縦する。親方の筏師は先頭を務める。彼は突発的な出来事の場合にしかその場を離れない。奔放な腕前で、彼は、船首で、向かい風を受け、頭には何も被らず、髪を風にたなびかせ、腕を突き立てる。厚織りリンネルのズボン、青いサージのベルト、赤いシャツ、大きな短靴が筏師の習わしとなっている衣装である。それでこそ、腕を絶えず動かし、脚をしっかりと固定させて、必要に応じて右に左に突き進む準備ができているのだ。彼は、祖先が用心深く慎重に川に架けた、ひっそりと佇む古い橋の、暗く、狭く、偏円のアーチをくぐり、堰を乗り越えなければならない。水流が運ぶトランは、深い堰の底に頭から突っ込んでしまい、壊れるかもしれないし横転するかもしれないのだ!安心せよ、筏師親方は両の手を頑丈な棒で操作し、棒を水底の砂に差し込み、流れを操る。それから棒の反対側の先端を、トランの先頭にしっかりと結びつけられた二つのオレイユ(耳)の一つに差し込む。流れは絶えず筏に襲いかかる。しかし、そのぞっとするような流れは続かず、薪材の長い蛇はその身体を持ち直し、大抵、その驚くほどの高さの姿を取り戻す。この操縦は大変な熟練を要する。人と筏の不安定な小舟とは30ピエ隔てられている。泡立つ水がとどろき、大きく拡がり、そして集まる。しかし必要な傾斜は十分にある。トランの先頭が狭い通路に入っていく。遥か後ろの、トランのしんがりが推進力を保っていないならば、アーチをくぐり抜けるとき、次のような簡単な命令が聞こえてくる。−ブート・ダルジュ、ムーン・フーム!(見張り番、わが弟子!)−それでブート・ダルジュは彼の背丈と同じほどの長さの棒を握り、砂利に突き込む。子どものこうした努力によって大きな塊の泡立つ水の勢いが弱まる。これからは、彼らが危険を乗り越え、筏師たちとその助手が、狭く曲がりくねった、時には深く時には浅く、進むには十分な水量の水路に従って、棒をあっちこっちへと幾度も差し込みながら、進んでいくのが見える。道のりは長い。しかもヨンヌ川は不規則な川である。筏師たちは、船乗りのように、障害物や暗礁を示す地図を持たない。にもかかわらず、長い経験のおかげで、彼らはどんな障害も知っているし、砂のどんな堆積にも彼らはなじんでいる。運航するために、そしてうまく操縦しなければならないために、8日から9日を要する100里の道のりには、逃げなければならないこと、あれこれ試さなければならないことがあることが彼らは分かっている。トランは、進み、浮かび、その船体を長く伸ばし、蛇行し、急ぐ。これらの動きはすべて筏師によって跡が残され、あるいは戦われる。今、その船首が水に突っ込む。するとベルトまで筏師は引きずり込まれる。それから船首が起きあがる。そして、息切れしたように、トランは止まるのを望んでいるかのようである。これは流れで推進されるこの長い機械のあいだの果てしない戦いである。そして曲がったトランの機嫌をとる用心深い筏師は薪材のこの長いリボンの角を守る。それは川の厳しく狭く切り立った両岸をうまくすり抜けるために他ならない。時には水は数プスの深さしかないところもある。すると、水がない我らが親方は3、 8あるいは9日間、砂で動けなくなる。つまり、彼は座州してしまうのである。
*拙著『知的障害<イディオ≫教育の開拓者セガン―孤立から社会化への探究』(新日本出版社、2010年)には抄訳しか載せられなかった。