「狂人と白痴」(伝承話)

 サン=シモン主義者のエドゥアール・シャルトンが創刊・編集した"Le magasin pittoresque"(ル・マガザン・ピトレスク)という百科全書の第10年(1842年)の巻に、「狂人と白痴」という話が登場する。人間性の根源を綴っており、大層心惹かれる話である。以下に翻訳しておく。
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 資産のないひとりの男、ヨーロッパの男たちにとっては当たり前の、自身のことに関心を持たない男が狂人になった。その狂気は強力な帝国の至上の存在主であると自分を思いなしているというところにある。彼はとある健康の家に収容された。そこには生まれながらの白痴がすでに収容されていた。新入りはすぐさま古参者に執着を示し始め、彼を総理大臣に任命した。議会の床屋と召使いという下級の職能を結びつけなければならないような高官である。毎日総理大臣は陛下に大層お仕えした。食事の間は王席の後ろで控えていた。彼の食事はその後であった。概して、国王は高い席に座り、いつも総理大臣を彼の後ろに立たせていた。そしてそれから二人は目に見えない人たちに向かって同時に命令を出していた。それほどまでに狂人は白痴に影響を与えていた。彼らは丸々6年間、この上なく仲良く暮らした。
 しかし不幸にして、国王の食事が長引いたある日、総理大臣は、空腹のあまり、至上の存在主と向かい合って食事を摂ってしまい、朝食のエチケットを忘れてしまった。国王の怒りは激しく、怒髪天を突く如しで、哀れな総理大臣に掴みかかった。間違いなく、国王の手が引き離されなかったとしたら、総理大臣は危うく殺されるところであった。国王の怒りが少しおさまったので、総理大臣を戻してみた。しかし彼の怒りは再び爆発し暴力を伴った。それで、再び、総理大臣を守るために国王の前から隠した。
 その時から、仲直りの試みは完全に失敗した。哀れな白痴は、その不幸に耐えることができず、つまり、強く願っていたこと、彼の主人が許してくれることが叶わず、すぐに熱病に冒された。彼の死は狂人に強く感じるものがあり、狂人は、気を反らすことのない深い鬱に陥った。彼は数週間言葉を一言も発せず、食事もほとんど口にしなかった。その不運な友とまったく交わることができなかったからである。
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 ル・マガザン・ピトレスクによるところでは、この話は、18世紀末、イギリスの医師、ウィリアム・パーフェクトによってその著書で紹介されている、という。なお、話の中にある「健康の家」というのは私立の精神病院の呼称である。