「題が無い」―随意選題運動の一翼を担う我

 昨夜来、台風の影響だろう、涼しい気候。こういう時こそ仕事が捗るはずだが、それは「教科書」的発想。
 クラムシーへの手紙の原稿、再点検。当時の新聞記事の文章ではハテナマークが付くのだが、それはぼくの学力の無さを示しているだけなのだろうと思う。
 クラムシーには、いくつかの史料や事実の「発見」があったことをトピック的にお知らせしたい。それがぼくなりに、セガン生誕200年の成功を祈念するものとなる。
 今学期の成績評価作業に突入。こういう時、我が教育力を疑ってしまう。「オレ、そんなこと、言ったっけ?」という答案に数多くであうからだ。ぼくの知らない「模範答案」なるものが出回っているらしいけれども。
 ぼくは、学生時代、「模範答案」なる他者依存は一切したことがないため、「模範答案」なるものが、冊子で闇で配られている、という情報に接したとき、驚愕をしたものだ。「チンタラカンタラ♪学校サボって新宿行けば〜♪ミズ屋のオネーチャンが横目でにらーむ♪ (後は伏せ字)」なんて歌が流行る背景には「模範答案」などの闇商売は無かったんだがナー。「白紙の答案用紙の裏にダルマを描く」・・それがぼくの唯一の「模範答案」だった。