ウェーン、エーン

 今日になっても「レポート」提出にやってくる。全員「体調が悪かった。」が今日になった理由。一人ひとりの言い分に聞き耳を立て、「我が大学の教職課程のルール」について説明する。
 学生によっては、授業中の立ち居振る舞いについても、いくつかの様子を上げ、「指導語」を投げかける。
 ある女子学生(3年生)は一年時から気にかかる存在である。人の輪に絶対に入ろうとしない、目礼さえ交わさない、という意味で気になる存在なのだ。それもキャラクターだと言えばそれまでだが、教員養成を担う立場から言えば、今のうちに是正される必要があるキャラクターだと思う。なぜなら、彼女は「絶対に教師になる」「特別支援学校か学級の先生になりたい」というのが、一昨年、ぼくに、立ち話的に相談したことがあるからだ。
 今日の彼女はそのことさえ忘れていたようだ。「何故おまえはそんなに細かいのか。」という言葉を返してきたので、ぼくはキレた。「締め切りを設定した。それを守れというのが細かいのか。」「授業中、討議をしている。その時に君は、あっちを向いているから、グループの他の連中は君に声さえ掛けられない。そのことを注意することが細かいというのか。」「これはオレのことばではない、我が教職課程の某先生のことばだ。そしてそのことばは君たちは聞いている。指導語としてな。<教員というのは人とのコミュニケーション無くてはできない仕事です。モノや空気を相手にするのではなく、生きた人間を相手にし、しかも一対一というのは希有、多対多の複合関係の中で成立する職業であるし、その力はすなわち職能の基盤だ。それを苦手だとか嫌いだとか、関係ないとかと言って実践しない人は、教師になることは勧められない。我が教職課程では指導することができない。> これはオレもまったく同意する。オレも日常は人嫌いだし、不信感を持っている。しかし、教師という立場にたったとたん、相手を信じ、相手と交わることを旨としている。」等々。「今学期まで授業で見せていた態度を取り続ける限り、単位は出せない。約束は守れない、指導には従わない、能力も未修得だからだ。」
 とたんに、大声で、泣き始めた。手に負えない泣き方。見ると鼻血が流れている。「とにかく、トイレに行って、鼻を冷やし、鼻血を止めてきなさい。このままではどうにもならない。」と部屋から出した。・・・今もくだんの学生はここに戻ってこない。このまま時が流れれば、自ずと、ぼくの結論が実行されることになる。それさえ判断できないのだろうか。