『五十鈴川の鴨』(竹西寛子、幻戯書房刊)寸感

 彼岸ではなく彼岸らしく、此岸ではなく此岸らしい。この両者を紡いだ世界を寂漠と呼ぼうか。彼岸を彼岸として描くことも、此岸を此岸として描くことも、さほどの力業は必要はない。しかし、彼岸らしい世界と此岸らしい世界とを混沌させることなく描ききることと、その両者の世界の交わりの日常を描ききることとは、昇華された精神が必要であろうことを、思い知らされた本であった。著者は我が亡き姉とほぼ同年齢。そして今日は亡き姉の誕生の日である。
 編集氏が本の表紙を淡い緑(鶯色)でカバーし、書名活字を彫り込んだデザインにしたが、まさに竹西寛子氏が描いた「彼岸らしい」世界と「此岸らしい」世界との交わりの日常世界、すなわち寂漠を表象しており、見事な装丁だと感じ入った。紙媒体の書物は絶対に生き続けると確信もした。
 日を改めてさらに感じるところを綴りたい。