きんのうのこと、きょうのこと

 きんのうは、S君とSさんとが研究室を訪ねてきたんや。S君が東京都の教員採用試験に合格したちゅう、とてもうれしい知らせの土産を持ってきてくれた。「高校で古典を教えたい」ちゅうS君の情熱が叶う日が来るとええなぁ。そばでSさんが暖かくやさしくにこやかな笑みを見せてくれていた。ええなぁ、ほんまに。S君が「ルソーは子どもを発見した、それはまでは子どもという概念がなかった」ちゅう語りをし始めたので、まず、ルソーのエミールは子ども一般の教育論を意図して書かれたんちゃうで、ブルジョアの家庭教育のための本やったんやな。まずそこを抑えてかからんとあかんと思う。ルソーのあとの時代の人が、ブルジョアの子どもに適用するんやのうて、目の前の子どもに適用して考えるようになった、ちゅうことも押さえんとあかんな、と話をした。それから、子棄ての話になり、んなら、「アヴェロンの野生児」でも考えよか、「オオカミに育てられた」ちゅうのんは別の事例やけど、だいたいから、人間の子どもをオオカミの乳で育てられるかどうかまじめに考えやなあかんで、生物学的にはありえへん、ちゅう結論が出てることは知っときましょう。んなかんなで、「野性の少年」のDVDを鑑賞した。「これは実話である」ちゅうキャプションに惑わされて、ぜーんぶほんまのことが映画になった、と思たらあかんで、ほんま。
 S君もSさんも、ぼくの書棚からいろんな本を手に取った。「それやるで、しっかり読んでな」とプレゼントした。ぼくの、精神の血分けやなぁ。
 きょうは、姫さまが訪ねてきた。きんのう、紅葉返しとのことで本土寺の紅葉の写真を携帯で送ってくれたんやけど、今日はぼくの紅葉狩りの時のお土産を、ぼくの方からプレゼント。「共和国産の土産」ちゅうてあったんで、どんなもんやろ思たやろけど、えびせんや。姫さまとも、セガン研究やこれからのことについて、ぼくの方から話さしてもろた。今は一番の理解者やからなぁ。姫さまが書棚のフーコーに興味を持ったので、「斜め読みしただけやけど、もういらんで、やるわ」とプレゼント。「近代」の可能性を考えるぼくと、「近代」の排他性差別性拘束性監禁性を激しく告発するフーコーとではまるで立ち位置がちゃうんやけど、強く心退かれます、フーコーには。
 今日は「はじめに」と「第二章」とに赤入れ。明日は第一章やな。それが終わったら、いよいよ白痴教育や。