感想をいただいた

 先日の出版記念会でのぼくの講演について、きっちゃんから、感想をいただいた。
「講演の感想ですが、その時々の状況、その時代に沿った事実に基づいて考えることの大切さが印象に残っています。研究だけではなく、人に接する時、テレビや新聞を見るとき、物事を考える時の視座にしなければ、とあらためて感じました。以前研究報告で読ませていただいた「墓を探し当てる」記述、当日見せていただいた写真、そしてあの「はしご」と「戸籍調査」の話などが、事実を掘り当てるための作業だと実感しました。しかし、あの「はしご」のエピソードは圧巻でした。」
 セガンが男子不治者救済院で行った実践の総括報告(1842年)の冒頭部分に、「石工の梯子」「石切工の梯子」を使った実践が登場する。「石工」や「石切工」の言葉は知っているがその職能の具体についてはまったく知らない、だから、「梯子」とあってもどのようなものなのか分からない、その上5メートルもの高さ(長さ)だという。それで、書店、古書店、博物館、ノミの市と探しに探し回った・・・、というようなことを話した次第。結局実物には行き着かず、博物館の模型で5メートルの長さの梯子を実感することはようやくできた。そして、それほどの高く長い梯子実践であっても事故はなかったという、だからこそ実物を知りたい。1866年著書に梯子実践が登場するが、セガンは、梯子訓練を終えた子どもにリンゴを渡している。熱くなった掌をリンゴの冷気がさましてくれる、と。ここに教師としてのきめ細かな愛を感じることができるとS先生はぼくに語ってくれたが、1842年報告にはリンゴは登場しない、ぼくが強く関心を寄せるのは梯子という事実、それを使った訓練という事実、そして事故がなかったという事実、そこに見られる教育思想・技術である。
 次のような内容が綴られている。

「第1の梯子 ― たとえ筋肉系統の一般的な発達をなおざりにすることがないにせよ、上記にかかわる訓練では腕と手を動かす必要があります。2つの梯子、すなわち1つは石の積み上げをする職人(石工、maçon)のそれ、もう1つは石を切る職人(石切工、carrier)のそれ(多少改造したもの)です。その2つの梯子があれば他の活動への予備活動をうまく進めるために十分です。
 私は彼らを、石工の梯子の後ろを、脚と腕を使って登らせました。一方で私自身は前から登り、私の手を彼らの手に押しつけました。全員が間違いなく梯子から落ちるので、それを防ぐためです。このゆっくりとした、つらい梯子登りで、ジャックマンは、私の手の下にあった自分の手を無理矢理解放し、地面に降り、その労苦からの釈放を求めて、私に向かって十字を切りましたし、マルキは、梯子の桟を掴んだ後、おぞましい叫び声を上げて、わめき立てて怒り、逃げ去りました。ポンサールは激しく抵抗しました。私の手に負えないので、彼の意のままにしておきます。グルダンは、あらゆる指導から逃れようと、サルのように素早くいくつもの横木をよじ登りますが、不用意に(気が急きすぎて)、繰り返し梯子から落ち、口に拳を突っ込みながら、起き上がります。ラミは1段登り手を下ろす、あるいは、その反対、です。上の方を目指した規則的な運動をやり遂げさせることは不可能です。他の者たちは、つねに、同じ足と同じ手で登ります。オーギュストとラングロアは初めから登り降りしました。
 同じやり方で梯子を降りることについても、困難さは大きいものがあります。神経性の発汗が全員に見られました。顔には玉の汗が浮かび、手からは汗が滴り落ちていますので、彼らの手を固定し静止するには、非常に慎重でなければなりません。とりわけジャックマン、マルキ、ラミ、ポンサールに見られるこの目を引く現象は、恐怖のせいにするわけにはいかないだろうと思います。というのは、この現象は、筋肉系統の発達を目指して取り組まれた、あらゆる訓練において見られることだからです。また、特に、調音にかかわるさまざまな運動の際に、12月の非常に寒い気候によって上唇がある種の輝く露で一杯になった時にも、見られるのです。
 腕の力で梯子を降りることは、困難が倍加します。私は、いつも梯子の前で、彼らと同じ高さのところにいて、私の手を彼らの手に乗せます。そして、私の片脚で低い横木にしがみついている彼らの脚を、彼らの虚弱さに応じた力で、押し離し、彼らを宙づりのままにします。私は彼らの手の一方を押さえつけていることから解放してやります。(経験が私に考慮に入れるように教えてくれたことについての会話の当然の感情の結果)彼らには十分な理解力がないので、彼らは、掴んでいる横木を離し、それから下の横木を急いで掴むようにとし向けるのです。その新しい横木に私の手を持って行き、彼らの手を固定します。同じ手だてでもう一方の手を下に下ろさせます。そして、私たちが一緒に降りている間にも、私の身体は梯子に沿って滑り降り、子どもの脚は、休むことなく、支えを取り戻すために動き回りながら、私の右足と格闘します。
(中略)
 これがみなさま方にお示しする事実のすべてでありますが、付け加えさせていただきたいことがあります。彼らはそれぞれの手に、2つの手を使う最高に優れた訓練の跡(注:マメのこと)を残しています。何度も何度も5メートルの高さのところに登ったのです。でも彼らは、別に事故を起こしてはいません。」
 今日の、日本の目から見れば、「虐待」とも思われるだろうか。