ある学生の授業総括

 「生徒指導の研究」の講義は全て終了した。折々に提出した学生たちの「声」を読み返しながら、もう心は来年度の授業の課題を探っている。以下、日常のコミュニケーションそのものであってほしい姿を授業内コミュニケーションの成果として総括している学生の声。
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 半期にわたりこの講義を受けてきた中で、様々なことに気づかされ、多くのことを学びました。その中で私が特に印象に残っていることを三つ挙げ自己評価といたします。
 まず一つ目は、自分の心の窓を開け、実名を挙げて自分の意見を発信すること、声をあげることの重要性を学びました。それは、数多く行われたグループ討論や講義通信「窓を開ければ」を通して強く感じたことです。自分の本心を他人に打ち明けることは勇気がいることだと思います。もし自分をさらけ出して否定されたらどうしよう、受け入れられなかったらどうしようという不安が常に隣り合わせにあるからです。しかし、その不安を乗り越えて、自分を出した時、相手は必ず答えてくれるし、それをしなければ、相手とわかち合うこと、心で歩み寄ることは出来ないのだということを学びました。講義通信に関しては、それぞれがその回の講義で感じた素直な気持ちを書き、それを皆で共有することで、自分とは違った視点、新しい発見というものに、常に出会うことが出来、繰り返すことで、クラスメイトとの距離が近くなっていくような印象を受けました。
 二つ目は、相手を認めることの大切さです。これは一つ目に挙げたこととも関係していますが、勇気を持って自分を出してくれた人に対して、「すばらしい」「ありがとう」の意を込めた、何らかの反応を起こすこと、例えば拍手であったり、頷きであったり、そういった反応をすることが、相手とのコミュニケーション、相手とのキャッチボールをする上で、とても大切なのだということに、気づかされました。しかし、これはよく考えてみれば当然のことであり、その「当然」が出来ていなかった自分に情けなさを感じました。
 そして最後に三つ目は、学級、生徒に対する考え方です。それは、生活綴り方を行うことの意味等、講義で扱った様々な資料、作品から学んだことですが、学級は生きものであり、子どもたちはお互いに学び合い、育ちあっていくものであるということです。教師はそれに歩み寄って、子どもと同じ方向を向いて、手助けをしてあげる存在であり、決して教え込もうとしたり、意味づけをしようとしたりしてはいけないということを学び、強く共感しました。そして私の中で印象に残っている言葉は「人間は間違いを食べて太る」という言葉です。これから先、自分自身にも、この言葉を言い聞かせて、間違いを恐れずに、いろいろなことに挑戦していくこと、そして自分が教員になったら、子どもたちに、この言葉を与えてあげて、子どもたちが安心できるような暖かい教員になりたいと思います。
 これら三つの点をはじめ、様々なことを学び、自分なりに理解して吸収しようという取り組みをすることが出来たと考えます。
 最後に先生に一点だけ、申し述べます。私たちは20歳を過ぎた学生にも関わらず、非常識な面や考えが浅い面があるかもしれません。しかし、それでも、先生のお話ししていることの真意を理解しようと努力している姿勢が見られる時は、高圧的な態度ではなく、少し時間をかけて待っていただきたいということです。「待つ」という教育実践のすばらしい概念を語って下さるからこそ、申し上げました。
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 ありがたいですね、このような感想が綴られると。ただ、日常の教室の外で実践が出来る社会になってほしいと、切に願います。そんな願いを込めて、鶴猫荘日記は、しばらくはフレネ教育に関する写真の提供となります。是非ご覧下さい。