教育の自治をかの天皇制下の歴史事実に求めた―懐かしき修士論文の土台

 1.下中弥三郎の「教育自治」論
 2.上田庄三郎の学校経営案
 久し振りに上庄を紐解く。公立小学校長時代に、彼の許で作成された『学校要覧』(大正13年度)が、「行政命令」乱発時代の現代日本から見ると、きら星のごとく輝いて見える。原文は漢字カナ交じり文。『大地に立つ教育』上田庄三郎著作集第1巻、国土社、昭和53年刊、による。
「全教育方針」より
 1.教育勅語、教育法規に示された国家の教育方針を教育普遍の大綱とし左記の方針によってその具体運用を企図します。
 2.学校全体にわたる教育方針は全校教師児童の総合意志によって樹立せられ、校長はこれの実現の任にあたります。
 3.右の方針は固定せられたものではなく、むろん、全校教師と児童とはこれが批評と改造の自由と責任とを持っております。
 4.校長は常に自分の教育精神を深刻堅実偉大に成長させ、自分の人格の威力を逞しくして、全校教育の清新自由な活動を生起させる淵源と自負していなければなりません。
 5.(略)
 6.一学級に専らする教育方針は、法令に反しない限り主任教員に一任します。もしもそれが校長の意見と違う時は、校長は、自己の人格と思想の全誠実全力量で、自由の批評を試みるけれども、結局一致しない時は、主任の意見を生かさねばなりません。およそ自己に深く体感粛解しない主義の借用は不真面目であり有害だからです。
(後略)
「修身科」より―
 道徳的生活というものを、何だか堅苦しく窮屈なものに思わしめているなら、それは在来の修身教育の弊害である。
 修身科の任務は児童自身の生活を深いものにして、清新な人間的生活を自営せしめるためである。
 修身科が児童から嫌われるのは、児童自身の生活に即しない空理の強制であったからである。
 児童の真の内生活に触れない教授は排斥する。
 (中略)
 児童自身の生活に直に起こる個人的倫理問題も常に修身の活教材として、捉えてきては児童の考察の対象にしなければならぬ。
 教科書にあらわれている模範人物はただ徳目の奴隷として取り扱いを廃し、全体としての偉大な生活、人格の中枢に肉薄せしめる。