取りあえず「報告」準備の心構えだけでも…

○HP「川口幸宏の教育の旅」に、「国内的国際交流−忙中暇なし」をアップ。日常の中に拾ったことわざ遊びをタイトルとして。ただし、ことわざをもじっている遊び。「忙中暇あり」が正規表現。この頃、「転石苔生す」(転石苔生さず)などのことば遊びを楽しんでいたな。
○秋に開かれるだろうと思われる特殊教育学会とクラムシーでのセガン生誕200周年記念シンポジウムに出席を要請されるかもしれない、それを受けるかどうするか、直前になってから迷うことの無いよう、一体おれはセガンの何をどうしたのか、について確認しておきたいと、あれこれ、探っている。今日は2009年の春20年ぶり以上の空白期を置いて再会したS先生からいただいた手紙がひょっこり顔を出した。以下はその一節。
セガン研究は精読しましたが、その感想を一言でいえば、貴兄の長年の研究の足跡、その方法論の研磨が、ここへ来てみごとに開花して、未踏の成果を挙げつつありますね。
 それにつけても思い出すのは・・・等と「夕拾の会」という学習会を持ったことがありました。その当時の人は今、第一線で活躍しています。当時、貴兄に嘱望していながら、あまり元気がないなと訝っていましたが、今回の精華を見て、やはり貴兄は大器であったなという感激を改めて持ちます。
 セガン研究は、読み進むにつれ、下線はめっきりと増え、サンシモン主義と『エミール』の影響の弁別をその考証が鮮やかです。自分史研究を、当時の18世紀フランス政治社会史研究を背景に、地域の筏師に及ぶところも面白いです。後半の奔流の記から第1―第4実践にいたる核心部分はセガンの教育論の形成過程と彼自身の自分史と人間形成の発達論を重ねて構成されていて、考えさせられます。両者を繋ぐものとして「文明化」と「文化化」の本質と教育というテーマがあるとみました。全文を翻訳してあるところ、たとえば、セガンの「助言」中の日記についての至言「成長を常に、全体として確認しておきたいと思うのです。…日誌は、私たちが試みようとしている長い道程にとっては、貴重な燈台なのです」は、幾重にもあらゆる角度から試みたいと思います。65年日記を書き続けている私は、最近「世界史とは無意識の記述を含め全自分史の総和である」というテーゼを考えていますから。
 貴兄の諸研究を吟味するにあたり、昔大学院時代にみたルソー研究の諸文献、桑原武夫さんたちの京大Gの『ルソー研究』『フランス革命研究』なども机上においてはみたものの今読み返す暇はありません。だから背景まで立ち入っての批評はできる術もないのですが、貴兄が今続けておられる研究が、成果の一部をみても、どれほどかの試作と追跡の成果であるかということは分かります。・・・」
 拙著の元原稿となる私家版を差し上げた返礼にいただいた手紙であり、セガン研究関係者以外からはじめていただいたコメントであった。