床屋談議

いつもの床屋に出かけた。テレビは囲碁を映している。ん、こりゃ、がははの話題はなさそうだな。静かに静かに時が流れる。自分の顔を鏡に映してためつすがめつするほどにナルシストではないのでただただ目を閉じてハサミの動きを味わって時が流れに身を委ねていた。
顔剃りが終わった時、「今なにやってんの?」とオヤジが問う。「働いてるよ」「元気だねえ」「まだ定年じゃないからね」「あとどれだけだよ」「一年半だな」「その後何すんだよ」「何もねえな」「趣味は?酒か?競馬か?レコは?」「何もねえよ」「そうだ、猫だろ」「ありゃあ趣味にはなんねえなあ」「散歩もしねえしなあ、返事もしねえし。がはは。」やっといつもの店主の笑いが出た。さあ、どんな暴露ばなしが飛び出るか。
「ところで教授先生、退職後、カメラやる人が多いってね」「退職金で最高級カメラをかうそうですね」「それでね、ポケットが一杯ついたジャケット着込んでさ、街中歩くんだってよ」「ほう」「いかにもプロって思わせるんだよ」「ほう」「そんな姿に惚れる女、いるんかねえ、先生」「カメラジャケットがナンパの道具なの?」「元手はヨドバシカメラで売っているポケットいっぱいのカメラジャケット代だけ。世も末だよな、がはは。それによぅ、チョイ、シャッポなんぞ被りゃ、男ぶりも上がるってさ」
ぐじぐじ言ってないで趣味、見つけなよな、と、今日もセラピストの床屋に見送られて、街に出た。ポケットがひとつもないTシャツ姿では、今日の気候は寒すぎた。