熱い心なき「冷めた頭」

 今日の生徒指導の研究に漂う雰囲気。「あれ?どこかしらけていない?」思わず発した言葉。いじめ問題を扱うと必ず山場でこういう雰囲気が漂う。ぼくにはなぜなのか、分からない。だが、授業外で発せられる言動から察するに、「対象化」することが困難な自己との出会いに戸惑っているのだろう。人間の根源にまで触れることは、おそらく、「教育」観のらち外にあるのだろう。教育現場を観念的に語ることができても、「人間」そのもの、存在、哲学、観諸々の「人間」全体と言っていい、それに向かい合うことに戸惑いを覚えているのだろうと、感じた。侘びしい授業中の、ぼくのもう一つの心であった。明日も明後日も、同じ思いをするのだろうか。