よれよれ爺さん息も絶え絶え

 ちょっと大げさな標題。だけど、肉体の意味ではなく、精神の意味で息も絶え絶え。
 媛様が「会いたい〜」と昨夜メールを下さったので、今日お会いすることを約した。午後3時頃に柏でお会いすることになったので、リタイア後の散歩行動のイメージをつくろうと思い立ち、午後12時半頃自宅を出て、柏駅に向かってブラブラと歩いた。1時間もあれば行き着くだろうと思いきや、2時間近くかかったのは、それだけ身体が弱っているということか。「散歩」の感想はFBに投稿。次のごとし。
「自宅から柏駅まで「散歩」した。
この土地に転居してきた当時は畑が一面に残る農村地帯だった。しかし、「宅地なみ課税」の影響もあり、農家は畑を手放しつつある時期でもあった。また、「村の集落」に野馬が入り込まないための防御堤(野馬堤)がちょっとずつ削られ平地に変えつつある時期でもあった。
 入学前の上娘を自転車の荷台に座らせ、関東農村の痕跡を視覚で楽しませようという父親の淺智恵を知ってか知らでか、娘は大はしゃぎ。農夫が働いている姿と祖母(私の母)の畑打ち姿とを重ねておしゃべりをしたり、大根の花を見つけては「大根さん食べないんだね。種にして育てるんだね。」と私に語っていたりした。・・・・・・それから30年。
 どんな細い道でも両側には家が軒を連ねており、車が歩行者に遠慮すること無く身体に触れるほど接近して通り抜ける。車幅が広いワンボックスカーがこれでもかこれでもかとメイン道路を嫌ってこの道に逃げ込んでくる。娘を乗せた自転車が走っていたのは確かこの道、畑道(農道)であったはずだ。行けども行けども、車がすぐ側をすり抜ける。中には私を追い越してからスピードを落とし、窓から首を出して、「ヨロヨロ歩くんじゃねえぞ、クソ爺!」と言い放っていく中年男性(私に息子がいればほぼ同年代だろう)もいる。右は家屋の塀で私はぎりぎりに家屋側を歩いているのだけれど、車からすれば、私という存在そのものが邪魔なのだ。そう言えば、「歩行者保護」を意味する交通標識はない。
 来年のリタイア生活を具体的にイメージしたくて長い散歩を試みたのだが、たった30年前の光景イメージはすっかり消えて無くなっており、そこを支配している「弱者通行禁止」の現実に出会ってしまった。私のリタイア生活の具体はここにあってはならないと強く感じた。しかし、どこにも行き場がない。」
 カメラを持って出たのは印象風景を撮影するためだったが、まったくそんなものはない現実に愕然とした。新興住宅ばかりだから絵にならないのだ。それでも何かないかと目をこらしていたら、あるお宅の花壇にアゲハチョウが舞っていた。

 蝶の静止画像もあるけれど、この方が「蝶の舞い」をイメージすることができるのではないかと思う。
 3時過ぎ柏駅改札口で媛様と落ち合い、高島屋のスイーツの店で1時間半ほど談笑。お元気そうでした。