自主ゼミ連チャン

 昨日の水曜ゼミは夏合宿の報告会。「深〜い自己語り」は、語った人は改めて自身が整理できたと好評だったけれど、合宿に参加しなかった人からの感想は「自己語りの意味は何か」という、どちらかというと疑義の声だった。このあたり「生活綴り方ゼミ」とは質が違っているな、と痛感する。「理性的に交わりたい」という声はさもありなんと思いつつ、青年が自己語りの中で自身の内面を整理して新しい自分に気づき、それが前進・進歩のエネルギーになるという、言ってみれば自己指導力の形成となるのであり、それが必要ではないかと思う。しかし、ぼくのゼミではない、学生が学生自身の手で課題と方法とを見つけていくことが水曜ゼミの課題。ぼくは援助者でありたい。
 今日の木曜ゼミは「自己語り」の続き。今日は旧家跡取りの自分史。よき人柄のバックグラウンドを知りたくて報告をお願いした。そして聞いて良かったと満足感。詳細をここに書くことははばかれるので、ぼくの胸の内に留めておく。ただ一つ、「箸の上げ下ろし、鉛筆の持ち方だけは厳しくしつけられました」。そこですね、すべてはそこにあります。