文字通り最後の授業

 生徒指導の研究Cを以て、ぼくが大学教師としてフォーマルに、つまり授業という形で、話をさせていただくのが、今日で終わった。あっけないと言えばあっけない。授業を終えて教室を出たら、長堀娘が肘をつついて、「はい、これ」と小さな声で言い、ビニール袋を手渡してくれた。ブーケが入っていた。ありがとう・・・・。

 お茶の水で、トドちゃんと、臨時の「忘年会」。まっすぐ帰宅する気にまったくならなかったこともあり、子かぴちゃんが会社の忘年会だということもあったので、誘った次第。セガン研究のこと、大学教育のこと、人間としての品性のこと等々、小田原料理を肴にし、黒ビールをいただきながら、話した。トドちゃんには、こうやって、さりげなく、ぼくの心の「痛み」を受けとめてもらい、しゃんと前を見る支えをいただく。本当に、ありがたいこと。

晴れ晴れとした姿を写真に収めていただいた。

 帰宅したら姫さまからメール。来週月曜日5時にゲラを研究室に届けていただけるとのこと。さあ、遊んでばかりはいられないぞ。
 帰宅途中、来週水曜日の自主ゼミに関して、白川さんとメール、電話で打ち合わせ。アルバイトで疲れているだろうに、本当にご苦労様。そしてありがとう。
◎受講生の島津君よりいただいていたメール。
川口先生へ
オピニオンと同じメール上で書くことではないかもしれませんが、もしかしたらほかにきっかけがないかもしれませんので、ここで書かせていただきます。
 1年半、あしかけ2年、本当にありがとうございました。
 一年生のはじめなんとなく教職課程をとってみようかな、と思い最初の授業で川口先生にお会いした時は、衝撃とともに懐かしさを覚えました。
 それは、大学にあがって学科の授業を受けて私語や飲み食い(私もまったくしないとは言えませんが…),カバンが机の上に乗っていて先生はひたすら話すのみという高校までではありえない授業に悲しいものをおぼえていたからです。
 教職課程の授業は、本当に学びたい人たちが集まっていて、先生方もそれに応える形で本気で(学科の先生が本気ではないという意味ではなく)やってくださっていて、(なにか偉そうですが)とてもうれしかったのを覚えています。
 その中でも「鬼の川口」先生の授業は、確かに「鬼」の場面もあったけれど、そこに理不尽さはなく、「確かになぁ」と反省する場面ばかりでした。(それを鬼、というべきかは、どうでしょうか。)その後、教職課程の授業を受けて、ちゃんと教職をやろう、と思いました。
 最初の「教育基礎」の授業を受けた時が、そのきっかけでした。
 Facebookで友達申請をしたときは、無礼ながら…という気持ちでいっぱいでした。
 一昔前ならば(もちろん生まれる前のことですが)先生とインターネットでつながるなどということは、立場的にも技術的にもあり得なかったことでしょう。ありがたいと思います。
 二年生になって、木曜日の自主ゼミに声をかけていただいてうれしく思いました。高松さんがきっかけとはおっしゃっていましたが、私にとってもとても大事な時間でありました。私たちから内容を提起することはあまりできませんでしたが、「自分について考える」ことを避けていたため、ばんさんや佐藤さん、川口先生のお話を聞けて、自分語りの時間をいただけて、今まで考えたこともなかったようなことも考えられ ました。部活動などで参加できないことがあったのが本当に残念です。
 道徳と生徒指導の授業では、本当にいろいろな新しいことを学んだような気がします。
今までのオピニオンに書かせていただいたことすべて、私の中に大きなものとして残っています。(オピニオンの仕組みもとてもうれしいものでした。)
 まだ私は進路は決めていませんが、もし教師になるとしたらいや、教師にならないとしても、間違いなく大きな土台の一つになると思います。
 来年から川口先生の授業がなく、お会いできる機会が減るのは本当にさみしく思います。しかし、Facebookや、またほかの何かの形で、かかわりを持っていただけたら嬉しく思います。
 今までありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。