年の暮れに改めてセガン
エドゥアール・セガンという人がいた。知的障害教育の開拓者として著名な人であるが、健常者と男性中心社会の教育学にはほんの添え物程度の扱いしかされていないから、知る人は少ないだろう。しかし、障害児教育学ではかなり重要な扱いがされている。
セガンの教育論は一体どこからどうして生まれたのかについては定説がある。それはジャン・ジャック・ルソーの『エミール』の影響を受け、それを実際の教育開発に援用した、ということだ。社会思想・教育史学者安川寿之輔氏は「障害者差別をくっきりと綴っている『エミール』が知的障害教育開発のテキストだって?!」と驚きを隠さなかった。「だって、セガン自身がそう書いているよ。」というのが反論者の言。反論者は、セガンの教育論と『エミール』論とを詳細に比較検討した論稿をまとめている。「ほら、事実こうなんだから。」といわんばかりである。こうした行為は反論者ばかりではなく、おおよそセガンを論じるアメリカ、日本の研究者の常態でもあるから、まさにセガンはルソーの教育論の影響を受けて知的障害教育を開発し、実践し、体系化した、という「学説」とされている次第。
こういう時は、ものは簡単、「原典に当たれ」「事実を確かめろ」という「近代的手法」の導入しかない。歴代のセガン研究者がそうしなかったとはいわないけれど、「痕跡の証拠集め」ですべて成し遂げた気になっている。上に述べた反論者など、セガンの700ページ余に及ぶテキストから「ルソー」「エミール」の文字を抜き出し、それらが何回使用されているかという論証方法で、「やはり、セガンは、ルソーの影響を受けている」と胸を張っている。
だが彼は、セガンが「(知的障害教育のためには)18世紀の感覚主義は間違っていた、19世紀のそれこそが知的障害教育を建設させたのだ」という一文の検索は思いつくことさえなかったようだ。「18世紀の感覚主義」とは,セガンの論理上、「エミール」のこと、「19世紀のそれ」とはサン=シモン主義哲学のこと。
反論者にとって、イヤ、多くのセガン研究者にとって、サン=シモン主義は「空想的社会主義でしかなく」、「近代」からは遅れている未成熟な思想・哲学だ、という大前提があるので、セガンの主張ははなから相手にしなかったのだろう。その証拠に、「セガンの中にサン=シモン主義を乗り越える思想があった」と綴っているのだから。
ぼくも「エミール」を説明すれば「近代教育学」を説明した気になっていた時期が長い。まさか、性差別、障害者・病弱者・老人差別、除外を前提としているなどとは、思いもしなかったから。いや、明記しているのだけれど、それを読み取る「冷めた頭」を持ち合わせていなかった、「福沢」的近代論に汚染されてしまって。