その感覚が分からない

 模擬授業。クラスは中学2年生と想定。学級に「聴覚障害のお年寄り」をお招きし、お話を伺い、自分の生き方を考えるという課題。
 「中学生N君」が質問。「日本が好きですか、嫌いですか?」
 この質問には伏線があり、第2次世界大戦末期に生まれ、戦争中および戦後しばらくの、主として食糧難から栄養失調に陥り、そのことを遠因とて、下痢や高熱が続く日々で、聴覚障害を起こし、今日までそれは治癒せずに来ている、という現実がある、と「聴覚障害のお年寄り」は語っている。
 くだんの「好きですか嫌いですか」という質問に対して、「好きとか嫌いとかで『日本』を考えたことがないので答えようがない。今ある私は間違いなく日本という社会によって作られたものであり、それを受け止めて生きてきたし、これからも生きていく。ただ、戦争という事実だけは、これまでも受け入れられなかったし、これからも受け入れられない。戦争による子どもたちの飢餓状態は、今もなお、世界中にあるという重い事実を考えれば、どのような戦争であっても認められない。」と「聴覚障害のお年寄り」は答えた。
 これに対しては共感的な感想が多く寄せられていた。いつもは大幅にに遅刻し、さめた目つきで授業に参加しているK君が、「日本が好きか嫌いか、という質問に対して、自分を支えているのは日本だ、という言葉に感銘を受けた。その考えは聞いたことがなかった。」と感想を綴っていたのに対して、「聴覚障害のお年寄り」は嬉しく感じていた。
 で、くだんの質問の主は・・・
「自分は学校で、日本は悪い、日本はダメだ、日本は戦争で酷いことをしたと教えられ続けてきた印象があります。小・中学生の頃は、日本に生まれた自分がすごくいやでした。その反動か、高校に入ってからネットで日本がしてきた戦争を賛美する記事を読み、いわゆるネットウヨクの仲間になりました。先の戦争で日本は何も悪くなかった、むしろアジアのヒーローだったという記事に、当時のぼくは本当に救われる気持ちがしていました。」と、長い前書きを書き、
 結論、
「今日のような授業はまさに、子供に日本を好きにさせない授業だと思います。」

 わからん。