梅は咲いたが桜はまだかいな、老教授鶴

 昨日固いつぼみを見かけた百周年記念会館横手の梅が、今朝は幾輪か白い花びらをほころばせていた。


 梅の木本には樫の実が多く落ちていた。このあたりは晩秋から一気に早春へと移ったような自然光景だ。旧暦カレンダーどおりだなぁ。
 ぼく自身、社会に行動的に開かれた研究活動から長い長い冬篭りをし続けてきたが、昨日の梅のつぼみを見て、「ぼく、もう一回花開こうかな。」と穴倉からほんの少しだけ、顔を出してみた。冬眠から目が覚めた蛙そのもの。まだ寝ぼけ頭。ガラスの灰皿の中の蛙はまだ眠りこけてるし。

 昨日、武蔵大学で開かれた日本生活教育連盟2009年冬の研究集会に参加した。一昨年夏法政大学を会場にした2007年夏の集会以来の、本部主催研究集会への参加である。

 総合テーマは「教育実践に『失敗』なんてあるのか?」、報告は2本で、横田文夫先生とその教え子(卒業生)「『本音で語り合えるクラスづくり』から8年が経って」と能川則子先生「業績評価を変えた苦情申請ー東京都の公立学校での実践」。
 前者は討議途中からの参加であったので、配布された文書報告で理解するのが関の山。教師をして「つらかった」「失敗」と言わしめた教育実践を8年後の今、当時の教え子たちとふりかえる報告と討議。横田先生の実践は、教師と職場の教師集団、親と親集団、子どもと子ども集団とが織りなすものであった。教師と親と子どもの3者によって実践が成り立つと見ることは「常識」であろうが、ぼくには、その三者は必ずそれぞれの集団として横田実践に位置づいていたことに大きな特長があるように思われた。そしてそれは偉大な「教育遺産」であると信じる。
 後者は、教員に対する評価(業績評価)とそれと給与とがリンクされるようになった近年の東京都の動きと、その矛盾について、さらにはその矛盾にさらされた教員が、(現象として)密室の中で行なわれている業績評価の開示を権利として受け止め、開示請求をし、評価の不当性を覚えた教員が、やはり権利として苦情請求をすることの、現実的な(運動論的な)意義についての報告であった。
 従来から行なわれていた(非常に問題性が多いと指摘され続けてきた)勤務評定のような姿を借り、じつは教育という仕事に即効性を求める教育マニフェスト意向が背後にあるこの業績評価は、勤務評定で言われていた教員の間に差別と分断を持ち込むという問題に留まらず、教育の根本哲学に寄り添う教育実践を放逐するという意図が明確になっている。討議の中で発言したのだが、「例えば、うちの学校は東大に100人入れます、という『公約』をする、保護者は各校のそういった『公約』を比較検討し、かつその『公約』がどの程度実現したかの実績検討をし、学校選択をする。そういうマニフェストとのからみで業績評価を見る必要がある」。その学校の教師はマニフェスト実現・実行にどれだけ貢献したかということが業績評価になるわけだから、子ども達の人格形成を、極めて近似的な目線と内容と方法とに従って評定される数値(ABCD)で実績を問うというようなことがなされる。
 こうした新自由主義教育行政・政策そして実践が突出しているのが東京都である。徹底した行政批判と運動とがどうしても求められる現在の公教育現場である。
 研究会の後の飲み会にもノコノコ参加。「生活教育の源流・ルソー」像を、ルソーの事実に寄り添って書き直す必要があるのではないか、などの弁をぶったのはご愛嬌・・・にはならないのかもしれない。しかし、「近代」をそのままに継承していいはずはないのが歴史展開なのだから、「現代」においてルソーはどう読み直されるべきかは、真剣に問われてしかるべきだろう。