「セガン教具」に思いを馳せて

 ガトゥ(Jacqueline Gateaux-Mennecier)先生の、1986年にパリ第5ソルボンヌ―ルネ・デカルト大学社会科学養成研究系に提出され社会学博士号が授与された論文「19世紀末と20世紀初頭における精神病医、教育心理学者たちと精神障害―ビセートルの子ども達への(公共)事業に関する研究」は、エドゥアール・オネジム・セガン研究を進めていく上で、フランスにおける知的障害児者に対する精神医療と教育実践の統合史(教育医療史)の枠組みが提供されている好著である。同論文は、一般的には『ブルネヴィル研究』と称され、単行本として出版されている(”BOURNEVILLE, LA MEDECHINE MENTALE ET L’ENFANCE ― L’HUMANISATION DU DEFICIENT MENTAL AU XIXEME SIECLE” L’Harmattan, 2003)
 D-M Bourneville(1840-1909)は、セガン研究者の間では、「セガンをフランス社会に復権させた人」として知られている。彼の肖像については、ルネ・デカルト大学内に付設された医学史博物館に向かう途中の階段壁に架けられた医学実験を描いた大きな油絵 ― ベッドに横たえられた女性裸体を取り囲んで大勢の医師が何やら協議している風景 ― の中の一人の登場人物として、視覚的に確認できる。医学史博物館・ブルネヴィル・コーナーには、ブルネヴィルによって再現された「セガン教具」の数々を見ることがでる。その「セガン教具」こそ、感覚主義哲学・「実物教育」(直観教育)の歴史(ルソー、コンディヤック、ペスタロッチ等々)、生理学の歴史、あるいは古代ギリシャの兵士訓練に端を発する身体訓練の歴史等々が込められた19世紀の大いなる遺産であり、「人間が人間として発達する」(文化化する)ことを自明の理とした近代・現代の教育思想の具体であり原点である事実を確認することができる。それらが開発された歴史と具体的な教育医療の事実がガトゥ先生の研究に見られるのである。。
 知的障害児者に対する「教育医療」(MEDICO-PEDAGOGIQUE)は、19世紀はじめにイタールによって黎明期が告げられ、19世紀半ばにその弟子セガンによって体系化・技術化された。イタールは学校医。医学的に言えば解剖助手であり医学博士ではなかった。また、セガンは文学者という肩書きになるのだろうが、今日はやりのフリーターと言った方がいいかもしれない。一方、精神医学者たちが、本格的に、その専門の立場から「人間が人間として発達する」事実に取り組み、成果を具体的に出すようになったのは19世紀の終わりから20世紀のはじめに掛けて、とりわけ、ビセートルの医師であったブルネヴィルである。ブルネヴィルは、フランス精神医学界で、忘れられていたというよりはむしろ憎悪されていたセガンの業績を再評価し、継承発展させるべく努力した人で、我々がそれを確かめることができるのか、ほかならぬ、医学史博物館ブルネヴィル・コーナーに展示されているセガン教具の数々である。
 ガトゥ先生の著書の中にそれらの図版が数多く収められているが、やはり、再々度、直接この目で確かめたい。サバティカルの課題である。