「狂人保護法」の原典(全文)、ようやく入手

 フーコーが厳しく批判した1838年のいわゆる「狂人保護法」( Loi sur les aliénés n° 7443 du 30 juin 1838)をやっと入手。今までホンの一部分しか見ていなかったので「セガン研究」の中ではほとんど触れることができなかった。1838年セガンが「白痴」の子どもの訓練(教育)にはじめて取りかかった年である。この法が、セガンの教育にどのように位置づくのか、大きな課題となる。
 「セガン研究」の今までは、セガンの半生記であり、白痴教育創造の展開過程であった。これからの「セガン研究」は、白痴教育の内容と方法、時代論的な意味、となる。この研究のためにこそ、「狂人保護法」は意味づけられなければならない。
 19世紀末から「狂人保護法」は精神医学者たちによって批判され、新たな法が作られた。ブルネヴィルがそれに大きく貢献している。そしてそのブルネヴィルはセガンの業績を大きく評価し、フランス時代のセガンの最後の実践の場であり精神医学者・管理者によって追放された、ビセートル病院の再編にあたって「セガン棟」という病棟を設けている。
 こうしてみると、ブルネヴィルが批判した1838年の「狂人保護法」はセガンの実践とは矛盾しているのではないか、という仮説さえ浮かんでくる。
 ワクワクドキドキするほどの「狂人保護法」入手である。法原文は「川口幸宏の資料館」(http://d.hatena.ne.jp/kawaguchi-yukihiro/20090116/1232096284)にアップしておいた。