「折檻」とはあまりにもご無体な

 われらがセガンさん、1838年から39年にかけての白痴教育実践に「アタリ」を覚え、「ワシの方法が全部の白痴の子どもに適うケン」と、今で言う社会福祉施設での実践を当局に願い出る。当局とは「パリ救済院総評議会」、最高統括者は内務大臣。1840年の秋には内務大臣の許可が下り、「不治者救済院」(男女別、設置箇所も別)に「白痴の教師」として招聘された。記録に残っている実践は1841年10月から1842年3月まで。救済院総評議会管理委員会への報告書(概略題「白痴の子どもたちと遅れた子どもたちの教育の理論と実践」)である。
 冒頭がすごい!何がすごいって、「ワシャア、白痴の子どもの扱いには慣れているつもりやったけど、ここんとこの子たちは、いやもー、なーんもせんし、やれっちゅうたらすごい勢いで反抗してくるし、これほどまで訓練されてきていないこの子たちが哀れで哀れで」という趣旨の前置きを書いている。救済院総評議会管理委員会は基本的に精神科医たち、つまり、この場合だと、白痴の訓練をしている医師たちが主たるメンバー。言ってみれば、「あんたら、何もせんかってん、この子たち、ちゃんと育っておらんぜよ」と喧嘩売っているようなものである。それほどに、われらがセガンさんは、実践の成果を得ている、ということになるわけだけど。
 不治者救済院での実践記録は1841年10月から12月までが中野善達氏によって邦訳されている(中野善達訳『エドゥアール・セガン 知能障害児の教育』1980年、福村出版)。セガンの白痴教育の詳細を見ることができる最初の記録である。だからこそ、丹念に読みたい。
1.邦訳があまりに難解すぎて理解できない冒頭。確かに原文も難しいけど。
2.訳文と原文とが全く合わない数箇所。
3.原文にぼっかり空いた空白訳文。
 まあ、ここまでは我慢できよう。原文を持っているオラさえちゃんとすればいいっぺ。原文を持たない訳文読者は、ふにゃらふにゃら・・という頭を抱えて、懸命に赤線を引き、セガンを理解するべく構造化するわけだ。その際、以上のことでは、セガン実践の大きな誤解は招かない(と思う)。
 某氏がかつて、「セガンは折檻をするなど、問題はあるけれど・・・」と、セガンの「歴史的制約」(某氏曰く)の部分についてお話してくださったが、ドンピシャの箇所が、前記邦訳書にある。
「力づくで折檻しようとしたりすると、ベッドをめちゃくちゃにする。」
 オーギュストという14歳の子どもに関する「習慣」についての記述部分から。
 しかし・・・・。
「ベッド・メーキングを無理に手伝ったり直してやったりすると、ベッドをめちゃめちゃにする」
というのが原文(ただし、ボクの訳だけど)。
 ここからは、セガンが「折檻をした」という「歴史的制約」は生まれてこない。