異変の春
日本の上空(制空権の付与されたところ?制空権というのはどのあたりの高さまで言うのだろう。)を飛んでいった物体を巡って、ずいぶんときな臭い話が流されて続けてきた。そして気がついたら、「防衛」のためと称する迎撃兵器実物が堂々と姿を見せ、どこに設置したかの情報も垂れ流された。どうやら我が国は、いつ、どこで、誰が決めたのかもわからないー手続きも明らかにされないままに、戦時体制下とおぼしき実情を、国民に押しつける「国家主義」国家となったようだ。仮想現実の「危機」を右派ジャーナリズム、右派言論人によって煽り続けられ、とうとう「現実危機」だと多くの人に認識させる現状が生み出された。定例の山焼きや漁が「不測の事態」によって停止させらるなど、もうほとんど1930年代後半の日常性である。
こんな大きな異変もあれば、小さな小さな異変も起こる。HPファイルが壊れたこともそうだし、携帯電話機の充電ができなくなってしまったということもそうだ。前者は自力で直したが、後者はストアーに赴き相談をするという、最もぼくが苦手としている行為に移らざるを得なかった。「接触不良かもしれませんから、もう一度ご自宅で充電をしてみてください。それでも充電ができないようでしたら、もう一度ご来店ください。」・・・二度と「ご来店」したくないのだが。充電は相変わらず不能である。ケッ!
かの「飛翔物体」はこれからもたびたび「ご来店」なさるのだろうか。そういうことがないような平和的国際情勢の構築に力を注ぎたいものだ。