ふと振り返る

 尊敬する志摩陽伍先生からメールをいただいた。ぼくの研究を「人間学」と形容してくださっている。精神がぐちゃぐちゃになっている時に限ってお声を掛けてくださる先生こそ「人間学」の実践的大家だと思う。
 先生と初めてお会いしたのは日本作文の会の夏季研究集会「歴史」分科会であった。ぼくが博士課程に進んだ年のことだったと思う。年齢にして28歳、戦前生活綴り方の成立と運動の発展についてをサブタイトルにして自らレポートを持ち込んだのだった。その時の分科会世話人が志摩先生であった。その翌年からぼくは歴史分科会の世話人となり、志摩先生とともに運営に携わった。我が国の生活綴り方の当事者から「証言」をいただくのと、主として若手研究者の歴史研究の報告の場とした。ぼくは生き生きとしていたと思う。また、教師の労働運動を主たる研究フィールド、方法論としていた教育運動史研究会(教運研)の事務局員を務めており、こちらの夏の大会でも戦前生活綴り方を意識していたこともあって、ぼくには彼我の区別がつきにくかったのは事実だが、両研究会で教育実践の当事者をお招きしていろいろとお話を伺ったことは大きな宝物となっている。ただ、すべての人がそうであったというわけではなく、大風呂敷を広げてあたかも歴史の主人公=英雄のごとき口ぶりで語る人もいたから、「聞き分ける」という研究方法論も、身につけたのだろうと、思う。
 志摩先生は、「あなたが考えるやり方で運営していいですよ。」と、ほとんどをぼくに任せてくださった。懐の大きい方だなぁと、今更ながら感嘆させられる。先生は、当時40代前半であったろう。ぼくが40代の頃というと、肝っ玉が小さく、おろおろしていたのだから。
 ぼく自身の手でこうした研究会のことを綴っているのはほとんど無い。要するに記録に残していないのだ。例外的に綴ったのがある。「裾野に花は咲いている」(http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~920061/tya.htm)。
 志摩先生には、その後、ホール・ランゲージに導いていただいた。ご一緒にアメリカの都市を歩き、研究会で報告させていただいたことを懐かしく思い出す。