クラムシー

 6月1日から1週間、エドゥアール・オネジム・セガンが幼少期を過ごしたフランス東部ブルゴーニュ地方の小都市クラムシーに行く。
 クラムシーはセガンが生まれたところ。今はない産業だが、中近世にはペチカの薪材を産出し、都市貴族・ブルジョアの家庭に乳母を送り出した歴史がある。薪材を筏に組み立てパリにまで流した。筏流しとそれを操る筏師は風物詩であった。セガンは「筏師たち」という小品を発表している。次はクラムシーの筏師のモニュメント。

 乳母の里であったという証となるものをまだ確認していない。今回の旅はその証を求めるためのものでもある。ただ、街角信仰の名残は見つけてある。人々の敬虔な祈りの声が聞こえてきそうなモニュメントである。

 習俗のようなものを何でも著名な人の名前をつけてその理論で説明しようとする近代主義者に、辟易しているこの頃。近代主義者はこの像をどのように説明するのであろうか?