パリ描画2 歴史の反省

 パリの整然とした街並みを創りあげている建物(イモビル)の壁もまた、様々な風格を醸し出している。それらの一つが「壁案内」とでも言おうか、「ここで○○が生まれ、死んだ。」だの、「ここから第1次世界大戦での名誉の戦死者が出た。」だののパネルが貼られている。まったく意図しないところによく聞き知った人名などを発見することが多いので、ぼくは、「壁案内」散策がたいそう好きである。カルティエ・ラタンの一角で「この建物にピカソのアトリエがあった。そこでゲルニカが制作された」という「壁案内」を見いだした時には、しばしそこに足を止めたものである。
 さて、次の「壁案内」は・・・

 リセ・シャルルマーニュの正面入り口横に貼られたこのパネルは、ここの生徒がユダヤ人であったが故にナチによって「死のキャンプ」に送られたと、追悼している。ナチの仕業だけではない、時のヴィッシー政権がそれに荷担したことを記すことによって、フランス自らの「戦争犯罪」を謝罪している。
 こんな全体光景となる。そして、パリの多くの見られる学校正面玄関の光景とつながっている。