パリ描画3 元捨児院

 リュクサンブール公園をまっすぐ南に下っていくと天文台に行き着く。天文台の周囲には数々の病院がある。かつては施療院、救済院という名称で呼ばれた諸施設である。これらの施設ができた時は、ここはパリ市内ではなかった。それが名に残っているのがファブ―ル・サン・ジャック通りである。ファブ―ルというのは郊外という意味。この道は、外科を主とするコカン病院と妊婦のための病院とに挟まっている。コカン病院は2006年にお世話になったところだ。
 さて、通りを西に一本隔てたダンフェール・ロシェロウ並木道沿いに、サン・ヴァンス・ド・ポール病院がある。その古いファサードがこの病院の前身を示している。

 中央のやや上部の丸い部分を拡大してみる。

 
 捨て子施療院とか棄児院とか呼ばれた施設である。ジャン・ジャック・ルソーの子どもたちもここに「捨てられた」のだろうか?ここに棄てられた子どもはやがて孤児院などの養育施設、養護施設に送られ、その多くの子どもたちは「里子」に出されたという。ぼくが研究しているエドゥアール・セガンの出生の地クラムシーは、そういった里子を預かる里親の村であった。