セガン調査旅行話 (1)

 6月某日、パリーベルシー駅からオーセール(ブルゴーニュ地方ヨンヌ県の県都)へ。次の写真はヨンヌ川とオーセールを象徴するサン=ジェルマン大修道院等。

 この街はセガンの母親が生まれ育ったところ。事前調査では母親の親の代つまりセガンの祖父母の代がここに入植したらしい。母親の生まれたところは、その出生証明書によって、リュ・デュ・ポン(橋通り)であることは分かっている。番地までは記載されていない。
 調査目的は母親の生家(あるいはその跡地)を特定すること、そして母親の家系を確定すること、セガンが「祖母の家に自室を持っていた」と綴っているその祖母の家の住所を確認すること、そしてその家(あるいはその跡地)を特定すること、さらにはセガンが通った旧制度のコレージュ、ジャック・アミヨの写真の撮り直しをすること、である。
 とにかく約200年前の街の様子を知らなければならない。観光協会に赴き「この街の古い家を探しています」と係員に声を掛けた。しかしこの街そのものがヨーロッパ中世の姿を現在に残しているわけだから、「古い家」ということばで係員が苦笑い。そりゃそうだと、すぐ、詳細を語る。すると、「ヨンヌ県に関わることだったら県立古文書館、オーセール市に関わることだったら市役所の敷地の中にある市の古文書館をお訪ねください」と、ていねいなご案内をいただいた。県立古文書館はかつて調査訪問をしたことがある。中世城壁と監獄を今日に残しているところにある。以下の写真。中央の尖塔が監獄、右が城壁、左が県立古文書館。

 今回はもっぱらオーセール市に関わる調査なので市役所に向かい、訪問の目的を告げ、古文書館(資料室)を訪問。エドゥアール・オネジム・セガンの母方の家系調査を目的とし、祖父母の代までをしりたい、と告げる。もちろんぼくが用意していった、知り得た限りの情報を付け加えたことはいうまでもない。おおよそのところ、フランス革命前20年後50年の戸籍調査であるから膨大な書類が対象となる。ぼくの能力に余るところであるが懇切ていねいな対応を得て調査をすることができた。次のような書類が、いわばインデックスとなる。

 悪戦苦闘をしたけれど、祖父母の死亡証明書をはじめ母方の家系を知ることができたばかりか、母方の祖父母はサボア王国の政争に敗れて亡命した家族であることも知ることができた。また、母方家系でサン=シモン主義者でオーセール市長を務めた者(いとこ=セガンより10歳年長)がいたことも判明。その彼が住んでいたところがセガンが自室を持っていたという祖母の家の通りを隔てた前に当たることも、現地調査で分かった。次の写真。右が祖母の家跡地、左がいとこの家跡地。

 実り多いオーセール調査旅行であった。そして、土地の人の、数々の親切な協力をいただいた旅でもあった。

 そうそう、母親の生まれた家は特定できなかった。コレージュ、ジャック・アミヨは改修工事中で写真の撮り直しの目的を充分に果たすことはできなかった。しかし、ハーフティンバー建築を堪能することができた。次は17世紀の建築物。

 
オーセール公式HPアドレス:
http://www.auxerre.fr/