セガン調査旅行話 (2)

 セガンを祖父母の代にまで遡ってその出自をはっきりさせようという研究課題を設定したのにはわけがある。それは、「セガンは先祖代々に及んで名家であり医師の家系であった」という通説があることに対する裏付け調査をしようと、思い立ったことである。当然、父方、母方について調査をしなければならない。しかし、母親についてはセガン自身もまったく語っておらず先行研究でも触れられていなかったから、ぼくの「闘争心」に火がついた。母親については、セガンの出生証明書をクラムシー前市長から提供していただいたことで、そのフルネーム(マルグリット・ユザンヌ)を初めて知ることができた。そして父母の結婚証明書をヨンヌ県立古文書館で探し当て、母親の出身地域(オーセール)を知ることとなり、オーセール市古文書館調査となったわけである。
 続いて、父方。父親は先行研究ではクーランジュの薪材商の子どもだとだけある。先の父母の結婚証明書で父方祖父母(フランソワ・セガン等)の名前を知ることができたので、クーランジュを訪問し、セガンの父親の生家を探し当て、できれば「先祖代々の名家」のセガン家のお墓参りをしようと考えた。
 クーランジュって?地図でその位置を探し当て、交通機関を探る。セガン生誕の地クラムシーから北へ約10キロ。クーランジュ・シュール・ヨンヌ・コミューンが正式名称。「ヨンヌ川沿いのクーランジュ」という意味である。中世の面影を残しているという。次は16世紀の地図。城壁に囲まれている小さな城郭都市である。

 交通機関はオーセールからクラムシーへの国鉄があるのみ、一日数本しか走っていない。クラムシー滞在を利用し、その一日をクーランジュ調査に充てることにした。交通機関はタクシー利用。
 小さな地方都市。役場を訪問した。まずは航空写真でクーランジュの全景を、続いて役場正面写真を。


 公民館、図書館などを併設した役場窓口で「この町のセガン家のお墓がどこにあるかをお教え下さい」と訊ねた。墓は行政が管理しているのでこの問いである。パソコン端末で検索を繰り返してくれたマダムが「セガン家のお墓はこの町にはありません。それと、セガン家はこの町に現在一軒もありません。」と回答。調査の糸を断ちきられた思いがしたが、「フランソワ・セガンが死亡した記録はありませんか?」との問いを重ねてした。マダムは戸籍台帳を取り出し、「セガン」名を片っ端から抜き書きし始めた。「西暦じゃなく共和歴で記入されているから、西暦に置き換えますね」と、換算表を元にして書き出してくれる。「・・・・あった!」
 かくして、セガンの祖父、そして祖母のフル・ネーム、死亡年月が判明した。マダムは、ついでだからと、パロワス教会の司教が綴ったというクーランジュの歴史という冊子を取り出し、フランス革命前後のクーランジュの項を調べ、そこに、フランソワ・セガンがこの街の三役を務めていたことが記録されていることを、教えてくれた。「あら、偉い人だったのね。」
 メルシー・ボクゥを何度も口にしてお別れをした。マダムは、「もしお礼を下さるのなら日本の絵はがきをお願いね。」と言われた。そして、「セガン家はないけれど、旧姓セガンさんがご主人を亡くしてこの街に戻ってきておられるから、お会いになりますか?」と、その場で電話をして下さった。1930年生まれのマダム、ジョルジェット・レボロゥと小一時間ほどお話をすることができた。写真、背を向けているのは通訳さん。

 せっかくの街の訪問。中近世の寒村のたたずまいが残るところをカメラ・ファインダーから覗いた。

城塔


民家


欄干に立つパロワスの十字架

クーランジュ・シュール・ヨンヌの公式HPアドレス
http://www.coulanges-sur-yonne.fr/public/