分かるが分からない

 エドゥアール・セガンの実践記録から―
「2つの梯子、すなわち1つは石の積み上げをする職人(石工、maçon)のそれ、もう1つは石を切る職人(石切工、carrier)のそれ(多少改造したもの)です。」・・ふむふむ。長いが続けましょう。
「私は彼らを、石工の梯子の後ろを、脚と腕を使って登らせました。一方で私自身は前から登り、私の手を彼らの手に押しつけました。全員が間違いなく梯子から落ちるので、それを防ぐためです。このゆっくりとした、つらい梯子登りで、ジャックマンは、私の手の下にあった自分の手を無理矢理解放し、地面に降り、その労苦からの釈放を求めて、私に向かって十字を切りましたし、マルキは、梯子の桟を掴んだ後、おぞましい叫び声を上げて、わめき立てて怒り、逃げ去りました。ポンサールは激しく抵抗しました。私の手に負えないので、彼の意のままにしておきます。グルダンは、あらゆる指導から逃れようと、サルのように素早くいくつもの横木をよじ登りますが、不用意に(気が急きすぎて)、繰り返し梯子から落ち、口に拳を突っ込みながら、起き上がります。ラミは1段登り手を下ろす、あるいは、その反対、です。上の方を目指した規則的な運動をやり遂げさせることは不可能です。他の者たちは、つねに、同じ足と同じ手で登ります。オーギュストとラングロアは初めから登り降りしました。
 同じやり方で梯子を降りることについても、困難さは大きいものがあります。神経性の発汗が全員に見られました。顔には玉の汗が浮かび、手からは汗が滴り落ちていますので、彼らの手を固定し静止するには、非常に慎重でなければなりません。とりわけジャックマン、マルキ、ラミ、ポンサールに見られるこの目を引く現象は、恐怖のせいにするわけにはいかないだろうと思います。というのは、この現象は、筋肉系統の発達を目指して取り組まれた、あらゆる訓練において見られることだからです。また、特に、調音にかかわるさまざまな運動の際に、12月の非常に寒い気候によって上唇がある種の輝く露で一杯になった時にも、見られるのです。
 腕の力で梯子を降りることは、困難が倍加します。私は、いつも梯子の前で、彼らと同じ高さのところにいて、私の手を彼らの手に乗せます。そして、私の片脚で低い横木にしがみついている彼らの脚を、彼らの虚弱さに応じた力で、押し離し、彼らを宙づりのままにします。私は彼らの手の一方を押さえつけていることから解放してやります。(経験が私に考慮に入れるように教えてくれたことについての会話の当然の感情の結果)彼らには十分な理解力がないので、彼らは、掴んでいる横木を離し、それから下の横木を急いで掴むようにとし向けるのです。その新しい横木に私の手を持って行き、彼らの手を固定します。同じ手だてでもう一方の手を下に下ろさせます。そして、私たちが一緒に降りている間にも、私の身体は梯子に沿って滑り降り、子どもの脚は、休むことなく、支えを取り戻すために動き回りながら、私の右足と格闘します。」
 さて、「石工の梯子」とはどんなものなんだい?今まで、「石工の梯子」という意識を持って見たことはない。そして、「石切工の梯子」とは???
 あっちこっちを訊ね歩き、見学し、書物を繰り・・・などをしたが、今以て確かではない。「石切工の梯子」については、どうやら、セガンは解答を与えてくれているようだ。次のようにある。
 「もう一つの梯子は非常に太い木で出来ています。側面は穴が開いていたり出っ張り棒があったりの凹凸が階段状に作られています。子どもたちは傾けて立てかけられたその梯子に背をあててよじ登ります。地面に一番下のところの出っ張り棒に足裏を乗せ、頭より高いところで出っ張っている棒を手で掴みます。腕を引き寄せて、子どもは脚で階段を上り、新しい支点で身体をまっすぐに立てます。さらに、梯子に身体をあてて、手で、上の階段に登ります、続けてさらに高く。高いところで、子どもの脚は梯子の胴体部に置かされます。この命令に従わされたことで、落ちるという不安のため、子どもの手は常ならざる力を持つようになります。そして子どもは吊り下がるわけですが、実のところは、背中が梯子にくっついているわけですから身体の重みが少なくなるような姿勢ですし、その一方で、肩が完全にひっこむような姿勢です。そして梯子の凸状の出っ張りで胸がふくらんだ姿勢となります。」
 ふむ・・・とすれば、「石工の梯子」で、「彼らはそれぞれの手に、2つの手を使う最高に優れた訓練の跡(注:マメのこと)を残しています。何度も何度も5メートルの高さのところに登ったのです。でも彼らは、別に事故を起こしてはいません。」というのは、次の写真のようなものなのだろう。「工芸・技術博物館(musée des arts et métiers)」(パリ3区)の建築現場の模型である。

 今日の教育現場では考えられないことだが、教育創造(開発)期のもつ熱気のようなものを強く感じることができるセガンの記録である。