セガン、第3教育論に突入

 セガンは1840年に入って寄宿制の学校を開設した。この時の実践記録は書かれたのか書かれなかったのか、残されていない。翌1841年の10月から、パリ北東部に位置するファブール・サン=マルタン通り男子不治者救済院に、「白痴の教師」として招聘され、実践を始めた。学校の子どもはどうなったのだろう?親元に帰したのだろうか。並行していたのだろうか?こんなことも気にはなるが、とにかく、残されている史実で物事を考えなければならない。学校の子どもは3人であったようだが、不治者救済院の子どもは10人、社会福祉のもとで収容されているので、学校の有資産階級の子どもたちとは違って、孤児も含まれている。
 セガンの教育論としては、この期の記録を第3教育論と呼ぶことにする。中野善達氏によって「知的障害児・白痴児教育の理論と実践」と題して訳出されている。が、何とも理解しがたい訳文なのである。以下のごとし。

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 みなさま方
 内務大臣閣下が、みなさま方のご要望に応えるという名誉ある任務を私にお与え下さったことに感謝いたしております。それと共に、私は、私にとってすでに馴染みのものとなっている問題のその困難さを隠しませんし、公衆の慈善によって養護されている白痴たちがそこに集まってくるたびに、まるで計画的であるかのように問題が集積されてくるのを感じざるを得ません。
 また、常軌を逸した社会組織が私に加える攻撃で、そればかりか、これまで治療不可能と考えられてきて病気のなすがままに放置されていたという障害も、私は秘め隠したりはいたしませんでした。皆様方のご好意は、私が試みたであろうことにも、試みることができたであろうことにも、一様に私に陳述させて下さると思います。そして、私の方法と私の努力の判定人として、私は、不遜にも皆様方同様にその能力のあられる方々を選んでしまい、しかも、そのことをみなさま方にお断りもいたしませんでした。
 それはともかく、みなさま方、この仕事は人間性のために捧げられるものでありますので、序言も省略させていただき、いますぐ、この間の三ヶ月間にわれわれが行った本題に入りたいと思います。
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 この翻訳文開始の前扉に「不治者施療院理事会への報告=サルペトリエール院における実践の最初の三ヶ月間のまとめ(1842年)」と書かれている。
 さて、ぼくが中野翻訳を読んだときにはセガンの原典を入手していなかった。だから、「サルペトリエール院..」という記述はセガンによるものなのだろう、と思った。また、「常軌を逸した社会組織が私に加える攻撃」というのは、いったいどのようなことがセガンの身の上にあったのだろうか、と考えた。前者については、その時すでにセガンはサルペトリエールで実践していない、との史実特定をしていたので中野氏による書込なのだろうとは思った、だが、本当のところは不明であった、セガンが書いたのかも知れない。セガンに対する攻撃というのは、ピガール通りの学校で、セガンが子どもを虐待しているという風評が立てられ、セガンが訴訟を起こした、ことを暗喩しているのだろうか、と考えた。しかしこれもまた本当のところは不明であった。それと、このセガンの「報告書」の本質がどうにも中野訳文ではわかりにくい。
 なかなか原文にお目にかかることができないいらだちが長く続いたが、2006年に入手することができた。早速当該論文を読み始めた・・・・が、何とも理解しがたい難文だった。中野訳文は本質的なことをわかっていないだろう、訳文がこなれていないところからして大学院生の下訳なのだろう、などとくだを巻いてはみたけれど、ぼく自身に訳出が困難であることと、サルペトリエール云々、社会組織による攻撃云々は、中野翻訳の筆が滑ったことだ、ということだけはわかった。
 さあ、これから、本格的に、セガン白痴教育論を理解しなければならない。とすれば、この難解な文章も理解しなければならない。
 ため息ばかりがついて出る。
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 以下は、ぼくの下訳。あくまでもー

 皆様、
 内務大臣閣下が私の意向を汲んで下さり皆様方にご下命下さった任務をお受けするにあたりまして、次のようなことは十分に承知していたわけであります。つまり、私は、それが私にとってはなじみのことであるとはいえ、公共の慈善によって養育される一群れの白痴の中で、ほとんど、構想を練らなければならないということはたいそう困難なことであるとか、また、不幸にも、今日まで不治だと信じられてうっちゃっておかれてきた、まったく異常な諸器官機能は並外れた抵抗を示すだろうということも、十分に承知していたわけであります。皆様方のご厚意をいただき、私が試みようとしたことと実際にできたこととの両方を、皆様方に報告いたしたいと存じます。皆様方、博愛に基づく奉仕に関わって、私は自身の方法や結果に強い誇りを持っております。権威ある方々や皆様方によってそれをお認めいただきたいと思っておりますが、そうお認めいただかないとしても、早速、これまでの3ヶ月間に行われたことの話をさせていただきます。