出会い、すれ違い、到着

 清瀬からの帰宅途中の池袋。山手線に乗り込んだところへにこやかな笑みを湛えた、なつかしのそうさんと出会う。ホームに下りてしばしの語らい。もう4年も会ってないのですかねぇ。「かわいい娘」は健在でした。娘の連れ合いも、相変わらずで、がんばっているとの話で、うれしくなりました。近いうち、三人で飲みましょう。
 以上は昨夜の話。
 携帯に着信があった。メールで、差出人は媛さま。「せっかく研究室に行ったのに、先生がいない」との恨みのお言葉。媛さま、じいは清瀬がしばらくホームグラウンドなのでございます。
 今日は、エスキロル、ベロームの著書を中心に、イディオティズムとイディオティとの違い、イディオディの教育の可能性のことなどを学習。ピネルの時代まで、イディオは偏執狂などとごっちゃに理解されていた、それをまとめてイディオティと呼んでいた。それに対してピネルはイディオは狂人であること、偏執狂などとは区別されるべきことで、イディオティズムという概念を用意した。それに対してエスキロル(ピネルの弟子)は、イディオは狂人ではなく、知的感情的能力が閉塞している状態の人のことを言う、イディオティズムは文法的表意であり、医学的表意としてはイディオティとすべきで、なおかつ、発達不能、したがって教育不能である、とした。
 ベロームエスキロルの弟子?−よう分からんー。彼はエスキロルに反して、多くの臨床例から、イディオは発達可能、教育可能という結論を導き出し、博士論文にまとめた。そしてそのための場を創設すべきだと、訴えた。そしてイディオのための学校創設が、医療機関内で始まる。1830年前後のことである。必ずしもセガンが「英雄」というわけではない史実がここにある。ただし、彼は医師ではないけれど。
 このように見ると、セガン史を書くときにはベロームにかなりのウエートが置かれなければならないと思う。もう一度、清水寛先生ほかのセガン研究を読み直さねばなるまい。