半世紀後に・・・

 台風の中、少し小降りになったのでイチョウの木の枝を2本落とした。ほかから飛んできた木の葉が顔や頭をべちんべちんと打った。面白くはありましたね。50年以上昔、大型台風直撃によって我が家の屋根のトタンが吹き飛んだ音がした。母が「屋根が飛んだでひろてきてんか」と言った。まだ反抗期にもいたっていなかった僕はきわめて素直に、強い雨風の中をトタン拾いの作業をした。膝まで水が使った。幸い飛んだのは一枚だけで、僕の力でも作業は可能だったが、大雨漏りで床下浸水。どうやって眠りに付いたのかは思い出せない。避難したという記憶もない。押入れで寝たのかな。台風が済んだ後の泥などの処理は大変だったなぁ。小学校3年のときだったと思う。

 ビセートルに関する書物を2冊ぱらぱらとめくった。なかなか頭に入らないから前に進まない。いつものことだ。物乞いや浮浪者を集めて収容したのが今日に繋がる。やがて精神病者収容、監獄・・・。日本の明治の近代化の折に浅草に保養所が作られたのとおんなじだ。
 セガンがビセートルの学校で働いたのは1843年。それより半年後のビセートルの学校では、教育内容が初等教育と職業教育とで構成されている。セガンの時代は教育が可能であることでみなが驚き感動をしたものだが、それより半年後は、何のための教育か、がきちんと理念化され実践されている。セガンの教育実績を再評価した医学博士ブルヌヴィルである。