さらなる先行研究へ

 秋空が広がる清瀬の道をゆったりと歩き、心地よい汗をかき始めたころ、日本社会事業大学に着く。授業時中だろうか、キャンパス(中庭)には人影がない。
 図書館に入り書架の列の中を歩くが、背文字を読むのがかなりつらい。今朝、左目がほとんど物を見分けられない状態になっていたから、白内障が相当進んでいるのだろう、そのせいだと思う。今の時代、背文字を読まなくても書物を見つけることができる。図書館のネットサービス。
 セガンの原著は、ない。
 シューの翻訳は、ない。
 セガン研究は…。セガンの名前でヒットしたのは一件だけ。タルボット本の翻訳書。
 白痴、知的障害、精薄などをキーワードにして検索を続けて、津曲裕次先生の論文「『白痴の使途』エドワード・セガンの生涯」(奈良教育大学紀要昭和44年)を発見。存在は知っており、強く意識いたが未だ目にしていなかったので、さっそく書架で現物を探し出す。フランス時代にもかなりのページを割いて書いておられる。固有名詞の読み間違い(発音違い)はまるで別のものかと思わせるものもある。我が国の初期研究ゆえ、やむを得ないのだろうとは思うが。セガンの史的位置づけについて、詳細に検討したい。