あかん

 この頃「おかん」ちゅうの、よう目にする。ぼくが初めて知ったんはリリー・フランキーの「東京タワー」でやったと思う。大阪のことばなんやろか。ついこないだ、女の人がつこてた。その人も大阪の人なんやろか。そんな言葉、ぼくは知りませんでした。お燗、悪寒ちゅう意味の「おかん」なら、大人になりつつある頃に、知ったけどな。
 ちゃう、こんな話書くんやない。
 教師にふさわしいとは思わない人、というのでいろいろ書いてある中で、「口にしまりがない」というのがあった。教師やのうても、口にしまりがない人は、まあ、品位がそこなわれますな。
 もうだいぶん前のことやけど(何年も何年も前のこと)、さる結婚式で、白無垢姿の花嫁さんが口にしまりがのうて、それはもう、呆れ果てたもんや。家柄もよろしく、頭脳明晰で、毎日新幹線で通学するほどの頑張り屋さんで、成績優秀、お友達も素敵な人ばかりで・・・・と、実態はかけ離れたナンパ女なんやけど、まあ、結婚式祝辞の常識が次から次への語られる中、一番メインの花嫁さんが、ぽかぁ、ちゃうな、でれぃ、ちゃうな、せやけどあんぐりではない、だらしない口の開け方ー口の両端からよだれがこぼれでそうな―をしていたんでは、ほんまに、お里が知れてしまうやんか、なぁ。
 と、「口にしまりがない」ちゅうのは、こんなことなんやろか、せやけどなぁ、なんやすっきりせえへんでぇ。やっぱり原文に当たることにしょ。
 la bouche empâtée, les lèvres épaisses et molles
 大きな口、厚ぼったく柔らかげな唇
 こういう具合に「口にしまりがない」わけだ。先の花嫁さんのようなんではないんやなぁ。花嫁さんが「だらしない気性がそのまま表現されたしまりなさ」とすれば、教師に求められるのは体質としての「しまり」ということになる。
 ちょい、この作者、絶賛というわけにはいかんな。
 
 ぞろ目の始まりは、熱っぽいで、かなんわ。