教育への権利

 「今日、聾唖者と盲人は教育の恩恵を被ることができる。そして・・・白痴者がこれらの人々の後に続くことを引き延ばすことができない」
 こういう趣旨のことをセガンさんは書いとる。で、翻訳書では次のようになっとるな。「聾唖者や盲人の教育は政府によって対策として取上げられ、保護と資金の助成を受けるので、教授法を考案した人々の基本的な思想がいかなるものであろうと、実行する有効な手段がなくてそのままでいるはずはないのである。」
 下線部は原文では、payé par le gouvernementやから、「助成」ちゅうニュアンスとだいぶんちゃうんやないやろか。資金は政府がはろとる、ということやからなぁ。政府立、つまり、国立の盲、聾学校やから、生徒たちは学校で寄宿舎生活をして、衣食住、授業料すべてが国から払われ、教師もまた国から賃金や生活費が払われてたんやな。
 セガンさんは、白痴たちも、そうされるべきや、とねごうてたんやな。せやけど、現実は、何もかも、セガンさんが一人でせなあかんかった、ということを言いたかったんやろうな。
せやけど、その甲斐あって、やがてヨーロッパ・アメリカという「文明先進国」で白痴教育が行政の手にゆだねられるようになった、ちゅうことがアメリカに渡ってからの『1866年著書』に書かれてる。そしてそれを「教育への権利」ちゅう言い方にしたんや。せやさかい、「教育を受ける権利」ちゅうんとは、やっぱりちゃうと、ぼくは思います。